猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

全身の検査

またしこりが大きくなってくる

 

8月末の食欲不振から約2週間。

前回の診察の後で盛大に吐き、その後も丸一日元気がなくてとても心配したが、それからは少しずつ元気を取り戻し、以来うにの状態は比較的落ち着いている。ただ、また体調を崩すのではないかと心配で、一切の薬はやめていた。

食欲には相変わらずムラがあるものの、ある程度は食べられるようになった。エサも色々な種類を試してみたが、結局は食べ慣れたカリカリが一番好きなようだ。

進行状況が心配な癌は、米粒から豆粒ほどの大きさにまで成長し、いよいようにがカリカリを食べるのを邪魔し始めている。猫によってはカリカリをろくに噛まずに丸飲みしてしまう子もいるようだが、うにはポリポリと音をたててしっかりと噛む。腫瘍のある右側をかばうように食事をしているうにを見るたび、気の毒になった。

癌の再発はもはや明らかだったが、転移の有無を調べる全身の検査をするため、テシエ先生がバカンスから戻った9月の2週目に診察を受けた。

全身のエコーとレントゲンからは、特に異常は見つからず、血液検査の数値も正常の範囲内だった。癌さえなければ、うにはシニア年齢に達していても健康な猫なのだ。だからこそ癌になってしまったことが余計に悔しい。それにしても、つらい抗がん剤治療からわずか1か月ほどで再発を見つけてしまったときのショックはとても大きかった。かなりのスピードで大きくなっていく腫瘍を見るたび、私はこれまでの治療の効果に疑問を持つようになってしまっていた。

 

もう積極的な治療はしないと決断して

 

そして、色々と考えた結果、私が出した結論をテシエ先生に伝えた。つまり、これからはもう積極的な治療は受けさせないということだ。

4月に病気が見つかってからというもの、うにの生活は一変した。何度も麻酔をかけられ、身体にメスを入れられたり、放射線を当てられたりしたうに。知らない場所で、知らない人々に囲まれてとても不安だったに違いない。それでも病気が治ると信じて、これまでがんばってきた。けれども、取り除くたびすぐに大きくなってくる癌。これ以上、うにの身体にメスをいれるわけにはいかない。苦しい思いをさせたくない。

うにの平穏な暮らしを取り戻してあげたい。

おそらく、うににとっての幸せはとてもシンプルなものだと思う。食べたいだけ食べたら、大好きなバルコニーのプランターの土の上に寝そべって、昼寝をする。退屈したら、窓辺のテーブルの上で、外の様子を観察する。たまには、オジさんのところに行ってがしがしお腹を掻いてもらうのもいいし、あったかくてお肉のついたオバさんのお腹の上でまったりするのもいいな…。

うにには、そんな静かでのんびりした生活をさせてあげたい。

もちろん、積極的な治療を止めたら癌は加速度的に悪化して、うにの命を縮めてしまうだろう。でも私には、辛い治療でほんの少し死期を先延ばしにすることの意味が、もう解らなくなってしまっていたのだ。

テシエ先生は、私の意志を尊重して、「これからは快適な生活を優先させるため癌の治療は行わない」、とカルテに書き込んだ。そして、これからうにが食べられなくなったり具合が悪くなったりしたら、いつでも診せに来るようにと言ってくださった。

 

夏休み、どころではないのはわかっていたけれど…

 

ところでこの日は、もうひとつテシエ先生に相談したいことがあった。

それは私たち人間のバカンスの件だった。

ここ数年、夫と私は6月にバカンスを取っていたのだが、今年はうにの病気が見つかり、それどころではなかった。しかも、その時期は新型コロナウイルスによるロックダウンが解除されたばかりだったので、もしうにのことがなくても、どこかに出かけるのは無理だったと思う。一方、7月になって学校も休暇に入ると、フランス国内の各地でバカンスを過ごす人たちの数は徐々に増え、8月になるとヨーロッパ近隣諸国に行く人たちも出始めた。我が家では例年、私がバカンスの計画を立てる。でも今年は、うにの病状がどうなるかわからず、休暇のことを考えようという気にすらならない。だから9月に入っても何も決めておらず、夫もそんな事情をよく分かっていた。

しかし会社の規定では、10月の末までに3週間の休暇を消化しなければならない。そこで、9月の末から10月の初めまでの休みを申請したのだが、今回何をするかは依然として全く思いつかない。

もちろん、どこにも行かずにうにのそばで過ごしてもよかったのだが、「コロナ疲れ」という言葉を頻繁に聞くようになっていたし、2月から外出もままならない状況で生活してきて、かなりストレスが溜まっているという自覚もあった。また、私に気を遣って、出かける話を全くしない夫だって、本当は気分転換が必要なはずだった。それでも、うにをどこかに預けて長期間どこかに行こうという気にはとてもなれない。色々と考えた末、妥協案として、一週間以内の日程で、山歩きに出かけて新鮮な空気を吸って来ようかと思い始めた。

だがその間、誰にうにを預ければいいだろうか。病気になる前は、近所に住む姑にこれまで数回お願いしたことがあったのだが、数か月前から夫の姪の猫がいるので、うにと仲良くできるか不安である。病気のうにに、余計なストレスをかけたくない。それでは、娘のところはどうか。娘の猫、くろちゃんとはすでに何週間か一緒に過ごしているので大丈夫だろうが、今はもう一匹の猫、モーがいる。それでも、姑のアパートに比べれば、3階建ての一軒家だから、いざとなったらうにの避難や他の猫との隔離はできそうだ。ただし、うちからは車で2時間半ほどかかるので、移動がやや心配ではある。

テシエ先生に相談してみると、どちらの場所にも知らない猫がいるのであれば、やはり一軒家のほうがいいのではないかという意見だった。私も同じように考えていたので、娘の家に預ける方向で計画してみようと思った。

とにかくそれも、うにの健康状態が安定していることが大前提である。もしうにの具合が悪くなるようであれば、絶対どこにも行かない。無理に出かけても、うにのことが心配で、全く楽しめないのはわかりきっているからだった。

 

布団の上が大好き

 

癌がまた再発して

辛い治療も効果がなかった

 

うにがほとんど食事をしなくなり、私もかなり不安になって、テシエ先生の休暇中ではあったが同じ診療所の先生に診ていただくことにした。

食欲不振だけではない。

口の右下と首の間に、またしても米粒より少し大きいぐらいの固いしこりを見つけてしまっていた。

このしこりを見つけた時の、心の奥までシンと冷え切ったような感覚はいつまでも忘れることがないだろう。これまでうにと一緒に二人三脚で頑張ってきた治療。その全てが無駄だったのかと思うと、悲しいというより空しい。あれをまた最初から全部やり直し? 目の前が真っ暗になってしまった。

もしまたうにに手術を受けさせるとしたら?

今、私の目の前で眠っているうにの喉には、縦10センチほどもある前回の手術の傷跡がある。今度はどこを切るのだろう。また痛い思いをすることになる。何より、もう2度も手術しているのにあっという間に再発しているのだから、今度手術をしてもすぐ再発してしまうのではないだろうか。

結局のところ、放射線抗がん剤も効果がなかったのだ。

これまでうにの癌を退治できると信じて、たくさんの治療をしてきたけれど、うにに辛い思いをさせただけだった。

それなら、うにをこれ以上痛い目に遭わせたくない! 治る見込みがあるならともかく、ちょっとだけ長生きさせるために、苦しませたくない。

でも、うにがこれからどんどん痩せて、癌で顔がパンパンに腫れあがって、苦しんで死んでいくのを見るのがこわい。

だからといって、死を先延ばしにできるのだろうか?

 

死と向き合うのがこわい

 

私たちは誰でも、いつかは死んでしまう。

うにが病気になる前から、私は自分が死んだらどうなるのか考えると怖かった。自分はどうやって死ぬんだろう。事故?病気? とにかく痛いのは嫌だな。

死の苦しみも怖いが、もっと怖いのは、慣れ親しんだ自分自身がいなくなってしまうことだ。若いころには自分の欠点ばかりが気になり、自分が好きでなくなってしまった時期があった。でも、あれから長い時間が経って、最近は細かいことはあまり気にならなくなってきた。もう50年以上も付き合ってきた自分なのだから、いい加減愛着が湧いても不思議ではないのだろう。相変わらずダメなところはたくさんあるが、基本的には真面目でわりと集中力もあるし、好奇心もあるし。食べることと旅行、本が大好きな私。少なくとも意地悪な、イヤな奴ではないし、いつまでもネチネチと根にもつほうでもない。

一時期、ものすごい気分の落ち込みが時折発作的に起きていたのだが、いつの間にかそんなことも殆どなくなった。どうして気持ちが軽くなったんだろうと考えているうち、ありのままの自分をいつの間にか受け入れていることに気づいた。だから、今では、ナルシストにならない程度には自分を好きになり、自分の存在を肯定できれば精神的にとても楽になれるのではないかと思っている。ちょっとした鬱状態ぐらいなら、それだけで改善しそうだと感じるほどだ。

その一方で、年齢を重ねてやっとダメな自分を受け入れることができるようになったからこそ、自分との別れ、そして自分が大好きな人やものたちとの別れが怖い。そんな私にとって、死とは、向き合うのをできるだけ先延ばしにしていたい事柄だった。

それでも時間だけは経ち、祖父母はいなくなり、両親も自分もどんどん年を取っていく。今は、思いがけず近づいたうにの死に直面してうろたえている私だ。

でも、もう逃げられない。自分が悲しみたくないからという理由で、うにに無理をさせることはできない。このままうにを静かに過ごさせてやろう。あとどのぐらい生きていられるかわからなくても。

 

うにの体調不良

 

獣医さんに診てもらったうにのしこりは、やはり癌の再発だろうということだった。ネコの頭部はとても小さいし、すでに二度の手術をしているので、再度手術をしたとしてもうまく患部を切り取れるかどうかはわからないという話だった。身体の他の部位に転移していないかどうかを調べるため、全身の検査を勧められたが、それはテシエ先生が戻ってからのほうがいいと伝えた。そこで、とりあえず食欲を促進する薬を2種類飲ませて、様子を見ることになった。

家に戻り、早速薬を飲ませてしばらくすると、うには勢いよくエサを食べた。そして歩いて居間に戻ってきたところで盛大に吐いた。

「ママ、うにが吐いちゃったよ!」と娘が言うので見てみると、居間の絨毯にかなりな量の吐瀉物があった。水分も多いがエサの形がややわかる、もやもやした形の固形物が見える。そして、便の形をした塊も二つあったのでびっくりした。一方、悪臭はそれほどでもなかった。

娘が手際よく片付けてくれたので、わたしはうにを探す。夫の部屋にうずくまっているのを見つけたが、じっとして目を細め、あまり反応がない。しばらくすると、弱々しい鳴き声を出して、よろよろとした足取りでまた居間に向かい、テーブルの下に置いてあったキャリーケースの中に入った。具合が悪そうな様子だ。薄暗いところで独りになり、静かに身体を休めたいのだろう。そっとしておこうと思うのだがとても気になる。身体が薬を受け付けなかったのだろうか。こんなことなら、獣医さんに連れて行かないほうがよかったのかもしれない。少なくとも、もう薬を飲ませるのはやめよう。

夜、私たちが居間でテレビを見ている間も、キャリーケースの中のうには音もたてずにじっとしていた。まさか、今すぐどうこうということはないだろうけど…。覗き込んでうにを見ようとするたび、娘に止められる。彼女のほうがよっぽどどっしりと構えているようで、いちいちオロオロしている自分がちょっと恥ずかしかった。

翌日になると、うには徐々に元気を取り戻し、少しずつ食事もするようになった。まだ満足な量には程遠いが、怖くて薬は与えられない。来週休暇から戻るテシエ先生の診察予約は、すでにかなり埋まっていたが、どうにか空き時間を見つけてもらった。

あと一週間、こんな調子では心細いと思っている中、娘も夏休み終了でヴァランシエンヌに帰ってしまった。相変わらず食が細いうにだが、少しでも食べてくれるならと、いつものカリカリ以外にもスープやジュレなど色々なタイプのエサを買って与えてみた。袋を開けると、なんの肉だかわからない茶色い塊がソースと混ざって入っている。うにはまずソースを勢いよく舐めたものの、肉はちょっぴり食べただけで残す。鶏肉をほぐしたようなもののほうが気に入ったようで、お腹が空いているときはほぼ一缶食べることもあった。私はうれしくなって駅の近くのスーパーまで歩いて行き、その銘柄を買い占めて意気揚々と帰ってきた。

うにの目の前のお皿に、缶の中身を空け、「たくさん食べてね!」と声をかけたのに...。うには上のソースだけ舐めて、鶏肉は丸々残してしまった。

ネコは短い周期で好みが変わるというが、この数か月、うにが喜んで食べてくれるものを模索する日々が続いていた。それでも、うにが少しでも元気になってくれるなら、このぐらいは苦労のうちに入らないと思った。

 

子猫だったくろちゃんも、すっかり大きくなって

 

つかの間の平和から一転、またしこりを発見

食欲がもどったうに

 

二度目の抗がん剤治療後、すっかり元気をなくしてしまったうに。

私は病院に対する不信感を抱くようになり、かかりつけのテシエ先生の診察を受けさせることにした。すると、やはり抗がん剤の副作用ということだった。抗がん剤をきっかけに拒食症になってしまうネコも結構いるらしい。コルチゾンの注射と投薬で、うにの食欲は回復した。

先生は、これまでの2回の抗がん剤治療の間隔が3週間しかなかったことを心配して、知り合いの癌専門医を紹介してくださるという。ただ、そこでセカンドオピニオンを受けるためには、これまでの治療の記録が必要になる。そこで病院に連絡し、診断書をメールで送ってもらうと同時に、病院の獣医さんとも相談して、しばらく抗がん剤治療は中止することになった。

そして、テシエ先生が夏休みから戻るのを待って、改めて9月の初めにうにの身体の検査をして今後の治療を検討することになった。これで経過がいいようなら、10月ぐらいまでは病院に行かなくて済みそうだった。

注射の効果はてきめんで、うには病気の前のように食欲旺盛になった。それから3日間ほどはしっかり食べられたので、たいぶ元気になったようにも見えた。4日目からは食欲が減退してきたものの、一定量は食べられていたので、私もほっとした。

「もう、病院に行かなくてもいいんだよ。おうちでゆっくりしてね。」

病気の前よりだいぶ活動量は減ってしまったけれど、私ももうあれこれと気を揉むのはやめて、うにをのんびり過ごさせてあげたいと思うようになった。セカンドオピニオンについても、また知らない所へ連れて行ってうににストレスを与えるぐらいなら、しばらく保留にしたほうがいいと考え、当面は見送ることにした。

あとはこのまま、癌がおとなしくしていてくれたらいい。

うにの食が細くなってしまっても、うちで休んでいればある程度体力は回復して、このままの状態を保てるかもしれない。食欲がある程度落ち着いたおかげで、私も気持ちの余裕を取り戻しつつあった。

 

ほっと一息ついて

 

その頃、娘もテレワークでのインターンを終えて家にしばらく帰ってきていた。思えば、新型コロナウイルスによるロックダウン、都市間の移動禁止になってから、娘と会える機会も少なくなっていた。パリにいるより、大学のあるヴァランシエンヌにいた方が環境もいいし、安全だとわかっていたので、無理にこちらに帰って来なくていいよと言ったものの、私はやっぱり寂しかった。移動禁止の直前にパリ市民がこぞって地方へと脱出したり、学生が実家に帰ったりする様子をテレビで見て皮肉っていたけれど、自由に移動できないのは心理的に圧迫感がある。近所への外出も自粛するなど、生活のいろんなことが不便になったし、ルールを守らず自分勝手な人たちを目にしてイライラしたりもした。あれこれでストレスが溜まっていたと思う。さらにうにの病気がわかってからは、それが最大のストレスだという自覚は常にあった。それにしても、今年の初めには想像もしていなかったこの「コロナ禍」。2020年はずっと記憶に残る年になるだろう。

それでも、娘が来てからうちの中が賑やかになり、一緒に買い物や食事に出かけて久しぶりに楽しい気分になれた。仕事も数日間休みを取り、ゆったりと家族の時間を過ごすことができた。気分転換して緊張感がほぐれたおかげか、うにの病気への不安からも少し解放された。娘は若者らしくおおらかで楽観的だった。「今はとりあえず、うにが苦しんでいないのだから、ママがそんなに心配しても仕方がないよ。」と、彼女らしい言い方で私を励ましてくれた。

「それもそうだよな。」と私も当面、のんびりすることにした。この夏は幸い猛暑も長続きせず、うにはソファやクッションで気持ちよさそうに昼寝をしていた。黄色いタルト型のクッションにぴっちりと身体を収めて寝ているうにの頭を触ると、目を閉じたまま身体をくねくねさせる。白い喉に縦一直線の手術の跡が痛々しいが、本人は気にしてないらしい。

「ネコが入ったネコタルト」「うにちゃんが入ったうにタルト」

「うにが入ったタルトがほんとにあったら、しょっぱくておいしそうじゃないけどねー。」

「お菓子にうには入れないよねー。」と娘も面白がる。

注射の効果も数日しか保たなかったらしく、相変わらず食べる量は病気になる前の8割に少し足りないぐらいだ。それでもまだ心配になるほどではなかった。朝夕は規則正しく台所に来てごはんを催促し、以前のようにカリカリを食べている。食べたら水もきちんと飲んで、トイレの回数も普段と変わらない。

 

またもしこりを発見

 

気付いたら、もう8月も後半になろうとしていた。世間では行き先が制限されるとはいえ、今年もたくさんの人達がバカンスに出かけているようだった。南フランスが人気で、テレビでも海岸やキャンプ地の様子が取り上げられていた。また、同僚で勇気のある人は、イタリアやスペインなど、春に多くの感染者や死者が出た国に出かけていたが、人が少ない分かえって楽しんできたらしい。そういえば、去年の今頃は、私も娘とトリノやミラノに行っていたんだった。

それなのに今年はどうだろう。

夫と6月に予定していた夏休みも9月末に延期したが、いつもなら行き先を決め、色々計画してワクワクするはずなのに、今年はどこに行くかさえ、全くアイデアが浮かんでこない。そもそもどこかに行けるかどうかさえわからない。9月に入ったら、そろそろ計画を立てなければならないと思いながら、やっぱりうにの病状次第だとすると、そこで思考がストップしてしまう。

漠然と感じ始めた不安が的中したように、もうすぐ娘もヴァランシエンヌに戻るという頃、またうにの食欲が落ち始めた。またほんの少ししか食べられなくなってしまったうに。9月の初めにテシエ先生がバカンスから帰ってくるまでは、落ち着いていて欲しいと思っていたが、何をあげても食べようとしないうにを見ていると怖くてたまらなくなった。

「このままうにが弱っていったらどうしよう?」

そんな時、うにの喉の辺りに、またしても米粒大のしこりがあるのを発見して愕然とする。

米粒は喉に埋め込まれたかのように固く、皮膚の下の肉にがっちりと食い込んでいるように見える。

二度の手術、12回以上の放射線治療、二度の抗がん剤...。これだけやってもまたあっという間に増えてくる癌細胞。何て恐ろしい病気なんだろうと背筋が寒くなる。

また手術? これまでの治療を最初からやり直すの?

目の前が真っ暗になってしまったような気がした。

とにかく、また元気をなくしたうにをこのままにしておくことはできない。テシエ先生がバカンスの間、もう一人の先生がいらっしゃるはずだ、と思い出して診療所に電話し診察の予約を取った。

 

ごちゃごちゃのタンスが大好きだったうに

 

二度目の抗がん剤

二度目の抗がん剤治療のため入院

 

最初の抗がん剤治療から三週間後、二度目を行うことになり、病院で血液検査をしてから一泊の入院になった。

その日は血液検査の機械が不調だというので、うにの結果はなかなか知らされなかった。そのころ、病院のコロナ対策は多少緩和され、待合室も開いていたので、午前中いっぱいそこで待っていた。その日は仕事が休みだったので時間の心配はなかったけれど、早く家に帰って少し身体を休めたかったので、思いのほか時間を取られて残念だった。

待合室にいる間、ネコを連れた日本人女性を見かけたので、声をかけてしばらく話をした。彼女のネコは14歳で、うによりさらに年上なのだが、鼻に癌ができて、顔が腫れ上がってしまったのだという。それでも6回の放射線治療で顔は元通りになったそうだ。

あたりまえかもしれないが、人間と同じで、動物にもいろんな病気があるものだ。人間だって、同じ病院に来ている人たちがどんな病気なのか知りたいと思ったり、自分の病状と比べてしまったりすることがあるだろう。それで悲観的になったって仕方がないとはわかっているけど...。こんなにたくさんの治療を受けているうには重病なんだ、改めて実感してまた悲しくなってしまった。うにを含めて、ここに来ている動物たちが早く元気になってほしいと願わずにはいられなかった。

その日は帰宅して遅い昼食を摂ると、ソファの上で長い昼寝をした。早く治療が終わって、うにも元気になればいいのに。

 

食欲がなくなったうに

 

翌日は仕事だったので、夕方夫にうにを迎えに行ってもらった。いつものように、淡々とした様子のうに。それでもお気に入りのタルト型クッションにすっぽりと収まって、リラックスしているところを見ると、病院での一泊は、さぞかし居心地が悪かっただろうと不憫に思う。病院での様子を聞くと、やはり預けておいたエサは食べなかったとのこと。前回も、抗がん剤投与後2日程は食欲があまりなかったし、便も緩めだったので、今回もしばらくすれば大丈夫だろうと思い、様子を見ることにした。

ところが、数日たっても、うにの食欲は本格的には戻ってこなかった。それどころか、だんだん食べる量が減ってきていた。そこで、いつもはカリカリしか食べないうにだが、この際何でも試してみようと、あらゆるタイプの食事を買ってうにに与えてみた。パテ、スープ、ジュレ…。色んなメーカーのものを食べさせてみる。うまくいくと、小さめのパックを平らげることもあるが、匂いを嗅ぎ、ひと舐めしただけで、顔をそむけてしまうものもあった。また、スープやソースだけ舐めて、残りは丸々残してしまうこともあった。

日に日に固形物を口にしなくなるうに。

食べる意欲だけはあるのか、朝夕は台所のうにのお皿のところに来て催促するように鳴くのだが、いざ食べ物を目の前にすると、ちょっと食べただけで、そっぽを向いてしまう。病気になる前はとにかく食欲旺盛で、あっという間にお皿を空にしては、もっともっとと催促していたのに。夕方私が帰宅すると、ドアの前で待ち構えていて、ご飯をもらえるまでそばを離れなかったうに。お腹の周りに肉がつき、上から見るとソーセージみたいだと、娘にからかわれていたっけ。そんなことも、遥か昔のように感じられる。

食事が思うように摂れないと、力だって湧かないだろう。抗がん剤投与から一週間が経っても、元気にならないばかりか、一日中ぼんやり横になってばかりのうにを見て、私もかなり不安になってきた。

 

病院への不信感が生まれる

 

病院に電話をかけ、獣医さんの指示を仰ぐと、吐き気止めの薬を処方してくれるという。メールで送られてきた処方箋を持って、近所のかかりつけの獣医さんから薬を買った。本来、薬だけの販売はできないが、今回は特別に対応してくれるとのことだ。薬だけのために遠い病院に行くのは大変なので、とても有難かった。

それにしても、4錠で25ユーロほどもする高価な薬だった。早速うにに飲ませるが、効果は現れない。私は食欲不振を説明したのに、処方は吐き気止めというのもなんだか納得がいかない。病院には患畜がたくさんいて、獣医さんも多忙なのはわかっているけれど、うにのこと、ちゃんとわかって診てもらえているんだろうか。

再び病院に電話すると、食べないと体力が落ちてしまうので、次回の抗がん剤治療までのインターバルを3週間から4週間に延ばした方がいいと言われた。

一方、うにの食欲不振については具体的な指示がない。4週間待つのはいいが、それでもうにが食べなかったら? うにが元気にならなかったら、何をやっても意味がない。今のうには生気を失ってきていて、私は不安で焦っていた。

そして私の中には病院に対する不安と不信感が生じつつあり、これまで信頼してきた治療法についても、疑いを感じ始めてしまっていた。

 

かかりつけの獣医さんに相談しよう

 

そんな時、やはり一番頼りにしたくなるのは近所のかかりつけの獣医さんだった。以前からうには免疫が弱っていたのか、数か月に一度は結膜炎になり、その度にテシエ先生に診ていただいてきた。うにのトイレの回数が少ないと心配した時も、すぐに診察してくださった。その時は結局、ベランダのプランターにおしっこをしていたのに私が気づかなかっただけで、泌尿器系の異常はなかった。それでも、こんな私の取り越し苦労にも親身になって話を聞いてくださる先生が、うちから歩いて5分のところにいらっしゃるのが、どれほど心強かったかしれない。うにの顎の下のしこりに最初に気づいたとき、すぐに手術をしてくださったのも、テシエ先生だった。

ただ、最初の手術で疑わしいものを全て取り除くには限界があり、その後放射線治療ができる病院に移るのはやむを得なかったのだ。

やっぱりテシエ先生に相談してみよう、うにが食欲と元気を少しでも取り戻すためにできることがあれば、何でもしてみようと思った。

 

元気がなくなってしまったうに

 

放射線治療の再開と初めての抗がん剤

放射線治療の再開

 

二度目の手術を終えて退院したうににゆっくり休んでもらいたかったけれど、獣医さんからは、癌に先手を打つべく、できるだけ早く治療を再開するよう勧められていた。そこで、手術から2週間後に診察を受け、放射線治療を再開することになった。

一方私のほうは、慣れない本店勤務でとても疲れていたものの、当面は一日おきの出勤なので、どうにかうにの病院通いと両立できそうだった。それでも、週によっては仕事と通院の日が重なってしまう。そんなときは朝早く病院に着いて、受付が開くと同時にうにを預けてパリの本店に出勤する。そして夕方は夫がテレワークを終えてから、迎えに行ってくれた。一日中、嫌いな病院に閉じ込められるうにのことを思うとかわいそうで仕方がない。だから休みが取れそうな日は休暇を取り、なるべくうにに付き添うことにした。色々大変だけれど、これで癌を抑えこめるなら、やりぬくしかない。

幸いなことに病院のスタッフは皆さん親切で、うにがおしっこで下半身を汚したときはきれいにしてくださったり、色々と気にかけてくださるのでありがたかった。

6月の終わりからは、いよいよ私の本来の勤務先も営業を再開した。街も活気を取り戻しつつあった。それでもコロナ前に比べると、電車に乗るのもおっかなびっくり、とにかく他人に近づきたくない。職場で制服に着替えるのはもちろん、何か触ればすぐに手をアルコールで消毒。家に帰れば玄関で服を着替えて、脱いだ服を外出用としてクローゼットにしまい、手、携帯電話、床、ドアノブを消毒して…。うにが病院から戻るときも、キャリーケースを毎回消毒した。

 

病院から足を延ばしてみた

 

この間、大型のショッピングモールやレストランも営業するようになった。相変わらず病院の建物内にとどまることはできないので、待ち時間を持て余した時は、バスで大きな公園やショッピングモールまで足を延ばしてみた。

病院通いがなければ、これまで来る機会もなかった街だけれど、自分の住むところとは住民の雰囲気も全く違う。パリに向かう直通の地下鉄も通っていて不便ではないが、ここに住んでみたいとは思えない。街並みだって一見整っているし、汚い感じもないのに、人々の様子は何だかぎすぎすしているように感じたからだ。ある時は、バスの中で検札係に無銭乗車をとがめられ、逆ギレしている人を見かけた。もっとも、それに対する検札係の態度も不愉快で、悪口の応酬を聞いていてため息が出た。それに無銭乗車の客は座ったまま動こうともせず、罰金を払おうともしない。その間バスは停まったままで、他の乗客には何の説明もなく、私たちは馬鹿みたいに待たされ続けていた。結局同僚の検札係に促され、罰金請求の続きは車外ですることになったらしい。彼らが降りてようやくバスは動きだしたが、とても嫌な感じがした。検札係は、自分の仕事さえすれば他の乗客のことなんてどうでもいいみたいに思えたし、一方で文句を言った客の話し方もとても失礼だった。

ぎすぎす、というのはどこか攻撃的と言い換えられるのかもしれない。このあたりはいつもこんな雰囲気なの? それともコロナ不安が影響しているの? とにかく片道一時間半ほどはかかるバスでの通院のたび、何かが起こる。やっと病院につきそうな所まできたのに、いきなりホームレスが乗り込んできてバスのドア周辺に倒れこみ、バスが発車できなくなってしまったこともあった。病気ではないらしく、周囲の人たちが起き上がって移動するように言うのだが、らちがあかない。一向に動き出さないバスに苛立って、乗客たちが降りていく。私も病院の予約の時間が気になり、次のバスで間に合うだろうかとハラハラした。

そんなこんなで、通院から無事に帰ると、毎回どっと疲れを感じた。だから一週間が終わるたびにすごい達成感と安堵感があった。週三回が四週間。12回の放射線治療は長かった。私以上にうにが大変な思いをしているのだけど…。

 

初めての抗がん剤

 

それにしても、最初の放射線治療を始めてせっかく一週間経ったのに、癌の再発と手術を挟んでまた振り出しに戻ってしまったのはつらかった。相変わらず治療の前は食事をもらえず、麻酔をかけられて、バスに長時間乗せられて…。うには、自分がどうしてこんな目に遭わなければならないのかと恨めしく思ったかもしれない。やはりストレスになっているのか、病院に行かない日も、なんとなく元気がないようなのが気になった。最初の手術の後には食欲も旺盛だったのに、食べる量も全体的に減っていた。

かといって、実際には体重も減っていないし、血液検査の数値も悪くないという。

そこで放射線治療の二週目には、一回目の抗がん剤治療のため、一泊で入院することになった。抗がん剤治療と言えば、人間の場合、副作用がよく話題になるので、私には怖いというイメージが強くあった。獣医さんによれば、一回の投与では、人間ほどの強い副作用は出にくいという。効果が副作用に勝るなら、とやってみたのだが、正直なところ後悔している。抗がん剤は正常な細胞も攻撃する。そんなものが身体にいいはずがないと思うのだが、癌を退治したい一心で治療を受けさせ、うにをまた辛い目に遭わせてしまったからだ。実際、治療後は食欲をなくし、下痢もしてしまったうに。かわいそうなことをしてしまった。

抗がん剤は生き物の身体にとっては毒だ。抗がん剤治療を受ける動物は必ず病院に一泊しなければならないのも、排せつ物に抗がん剤、つまり毒物が含まれているためだ。退院するときに、数日間は排せつ物や体液に注意するようにという説明書をもらうのも、抗がん剤という毒物へ触れることへの注意喚起だ。それでも、これで効果が得られるならやってみたいと思うだろう。でも残酷なことに、うにの癌には効果がなかった。良かれと思ってやったことが、結果としてうにの食欲や元気をさらに失わせてしまったのが、今となっては悔やまれる。

 

病気の治療と生活の質

 

うにの闘病から学んだのは、動物を取り巻くそれぞれの立場にはそれぞれの目的があり、必ずしも優先順位が一致しないということだ。

獣医さんは、あくまで病気を治すという目的から、治療を提案する。とくに癌治療を専門としている獣医師なら、癌を退治することをまず優先するだろうし、効果がありそうな方法があれば、試そうとするだろう。

では、飼い主の立場はどうか。

病気を治したいというのは、獣医さんと同じだ。私はうにと暮らして、たった2年で癌に直面してほとんどパニックになり、とにかくできることはしてあげたいと考えていた。うにともっと一緒にいたいと思ったし、うにが病気の症状で苦しんだりする姿を見たくないと思った。そして、その先にある死に向き合うのがとにかく怖かった。それに、まだ治療法が残されているのに試みない飼い主は、自分の動物を見殺しにするようで、どこか冷たいし薄情だ、という思いもあった。なにより、私はうにの癌は完治すると信じていて、治療をしたらしただけの効果があると思っていた。

でも、少しでも長く生きていて欲しい、という願いは、どんな状態でもいいからということではない。食べられなくてやせ細ったり、痛かったり、苦しかったり。ごはんがおいしく感じられなかったり、気持ちよく眠れなかったり。生活の質が低下してしまうのは辛い。自分に置き換えてみると、快適に過ごせず、生きていることが苦しいだけなら、死んだほうがましだと思ってしまうだろう。

過去や未来に縛られるのは人間だけで、動物は今この時を生きている存在だという。

それなら、少しでも長く生きるために、今辛い治療を我慢しようという発想は動物にはないはずだ。

私はうにの代理人になる、と決めたのだが、治療を続けていた時の私は、必ずしもうにの気持ちの代弁者ではなかったと思う。それでも、うにが病気を克服して、元気になってこれからも一緒にいられると信じていたから、悪いことをしているという意識はなかったのだった。

 

病院に行かない日はのんびり

 

二度目の手術

癌の再発

 

放射線治療開始からわずか一週間で、癌の再発がわかってしまった。

検査の結果を報告するための電話で、獣医さんはすぐに再手術を提案してきた。できるだけ早く手術をし、その約2週間後、傷が落ち着いたらすぐにでも放射線治療を再開、抗がん剤治療も併用すべきだという。じっくり悩む暇はもうないのだろうか。いや、この一週間色々考えてはみた。最初の手術が不十分だったというなら、今回は大丈夫なのか。病院に隣接の診療所では、より整った設備のもと大掛かりな手術もできるのだという。だったらやはり手術を受けさせ、術後の放射線治療や化学療法も最適なタイミングでできるようにすれば、今回こそ癌を抑え込むことができるのではないだろうか。

私はまだ希望的観測をしていた。

ただ、うにをまた痛くて怖い目に合わせてしまうのが辛い。今度の手術で、癌を大きく切り取るとすれば、傷はどのぐらい大きくなってしまうのだろう。場所的に食事に支障が出て、今以上に食べられなくなってしまったら…。かといって放置していたら、癌はますます大きくなり、一度目の手術さえ無駄になってしまう。やっぱり獣医さんの勧めてきた治療を受けさせたほうがいいのだろう。

そこで、今回の手術をしてくれるという診療所で診察を受けると、近くのリンパ節まで切除する手術で、三日ほどの入院が必要になるとのことだった。ただ診察に付き添ってくれた夫は、そこの獣医さんの態度が事務的で気に入らなかったという。確かに前回より大きな手術になるだけに、獣医さんとの信頼関係は大切だ。そこで念のため、かかりつけのテシエ先生にセカンドオピニオンを求めると、やはり再発は想定できており、今の状態では手術が第一の選択肢になるだろうという話だった。それを聞いて私はすぐに予約を取り、手術は4日後に決まった。

ところが手術の直前になって、急に私が職場に復帰することになった。自分の勤務する店は相変わらず閉店していたが、一足先に営業を再開した本店で、人手が必要だという。コロナウイルス感染を防ぐため、スタッフは二つのチームに分かれて、お互いが顔を合わせることなく交互に勤務する。慣れない店で、一日置きの仕事が始まった。

 

二度目の手術が無事に終わって

 

そんなわけで、手術前夜にうにを入院させるときは、付き添うことができなかった。翌日の手術の日は、夕方に執刀の獣医さんから連絡がくるまでやきもきしていた。どうやら無事に終わったらしいと聞いて、ほんとうにほっとした。

そして手術が終わって三日後の夕方、ようやくうにを迎えに行くときがきた。診療所には、ほかにも待っている人たちがいて、順番がくるまでなんだかドキドキした。もしうにがとても弱っていたら? それに傷跡が痛々し過ぎたら、かわいそうすぎて、見るのが怖い...。

まず獣医さんの説明を聞く。手術は予定通りに癌の周囲を大きく切り取ったため口元まで傷が達しており、特に唇の部分は形が大きく変わってしまわないよう、縫合したそうだ。切除した部分の病理検査の結果は、分かり次第病院のほうに伝えられる。傷口に当たってしまうので、エリザベスカラーはつけない。しばらく抗生物質を飲ませるほかは、特に生活上の注意事項はないが、手術の傷のために食べづらくなり、食欲が減退することが予想される…。

「ネコがわがままでも、十分甘やかして欲しがるものを食べさせてあげてください。」と獣医さんが冗談交じりに言う。ネコを甘やかすのには自信があるので、そこは大丈夫だ。

そしていよいよ、看護師さんがうにを連れてきた。

よかった、全然やつれたようには見えない。

特に具合の悪そうな様子もなく、キャリーケースの中からこちらを見るうに。

私たちの顔を見ても、とくに表情を変えるでもなく、淡々としているうに。

帰りの車の中で、うにの隣に座り、傷口を覗き込む。胸元の毛は大きく刈り取られていて、身体の他の部分に比べてやけに細く見える首回りが寒々しい。手術の傷は口の右側の付け根から真っすぐ縦に伸びていて、喉の手前まであった。もちろん痛々しいものの、とてもきれいに縫合されていた。確かに唇の部分にも細い縫合の糸が見えたが、それもきれいで、怖れていたグロテスクな見た目とは程遠いことに救われた気がした。

家に帰ってくると、すぐにキャリーケースから出てじゅうたんの上に寝そべり、リラックスした様子を見せたうに。病院で知らない人たちに囲まれ、痛い目に遭わされて本当に気の毒に思う。放射線治療が再開するまでは、ゆっくり身体を休めて欲しい。とにかくうにが帰ってきてくれて本当によかった。たった数日間うにがいないだけでも、うちの中が静かすぎて違和感を感じたのだから。2年前まではうにがいなかったなんて、今では想像できない。うにには一日でも長く、うちにいてほしい。そしてその間、一日でも元気でいてほしい。

 

傷はきれいに縫合されていても、やっぱり痛々しい

 

癌の再発

放射線治療、最初の週が過ぎて

 

フランス各地でのコロナウイルス感染が拡大し、ロックダウンになって約2か月。飲食店は閉まっているものの、商店などの営業は徐々に再開し、外に出る人たちもだんだん増えつつあった。そんな状況下でうにの放射線治療を始めて、一週間が経った。

相変わらず病院の中にとどまることはできず、治療の間は外で待っていなければならない。周囲には適当に時間をつぶす場所もなく、毎回バス停のベンチで一時間ほど座っていて、頃合いになれば、病院の建物の前で待つ。うにがいつ出てくるかわからないので、いつも30分以上は建物の前に立って待っていた。麻酔からすぐに覚めなかったせいなのか、1時間以上待つこともたびたびあった。うにを連れてきてくれる看護師さんたちは親切で、待ち時間が長かった日は謝ってくれるのでこちらが恐縮してしまう。受付の人たちとも顔見知りになり、ちょっとした会話をするようになった。私も本を持参したり、仕事用の電話で調べ物をしたりして、長い待ち時間を少しでも有効に過ごせるように努めた。幸い日中は暑さを感じるほど天気のいい日が続いていたが、いつか雨が降ったら、どこで待っていようかと本気で悩んだ。

放射線治療を始めてから、一番の気がかりはうにの生活のペースが崩れてしまったことだった。治療は午後なのだが、毎回麻酔をかける必要があり、前日夜からほぼ一日近くは何も食べられない。うには病院に行く前からお腹を空かせ、帰りのバスの中では切なそうに鳴く。治療が終わったらすぐに何か食べさせたくてカリカリのエサを持参したが、麻酔後2時間は食事は禁止だと言われ、結局は毎回帰宅するまで待たせることになった。家に着くなりすごい勢いでエサを要求するうにだったが、それでも一日分の食事を一度に食べられるわけではない。また、治療のない日でも食事の時間がずれ、一日当たりの食事量も3分の2ぐらいに減ってしまった。病気の前は一日に2食、ほぼ規則的に食べていて、量も身体に見合っていたのに、こんなことで大丈夫なんだろうか。治療を頑張るには、しっかり食べて体力をつけないといけないんじゃないだろうか。病院の看護師さんに話してみても、解決策は見当たらなかった。そこで、本当はいけないのかもしれないが、午後の治療時刻から逆算して、深夜か早朝に少量のエサを与え、できるだけ空腹の時間を減らすように試みた。とにかく、食事の量を少しでも確保しようと思った。

 

またしこりが見つかる

 

3回ほど治療に通った日、久しぶりに担当の獣医さんに会った。

放射線治療の時は、病院に着いたらすぐ看護師さんにうにを預けているので、初診での検査以来、なかなか話す機会もなかった。治療が始まってからのうにの様子をひとしきり話してから、獣医さんは、うにの手術跡付近に、気になるしこりがあるのだと言った。初回の診察時に撮ったスキャンに、やや灰色の影として写っていたところだ。その時は、手術からあまり時間が経っていなかったので、傷の炎症かもしれないと言われていたが、やはり気になるしこりになりつつあるという。早速細胞を採って検査に回したので、一週間後には結果がわかるという。もし再発であれば、放射線治療は中断、再手術になるだろうとのことだった。

最初の手術から一か月と少ししか経っていないのに、もう再発?

うにがかかってしまった癌の恐ろしさに背筋が寒くなる思いだ。

思えば、4月に手術してくださったかかりつけのテシエ先生も、癌は外から見るより深く増殖していて、取り切れていない可能性も大きいとおっしゃっていた。それでも、皮膚を触ってはっきりわかるほどのしこりがこんなに速く、再び現れるとは想像していなかった。

とにかく検査の結果がでるまで考えすぎないようにしようと思ったのだが、気が付けばうにの病気のことで頭がいっぱいになっていた。また手術だなんて…。本当にうにがかわいそうだ。

そして、この細胞診から約一週間後。病院からの電話で癌が再発したという検査結果を聞いた。

ある程度こんな結果を想像して、心の準備もしてきたつもりだったが、やっぱりとてもショックだった。なにより、うにの身体に負担をかけて手術や放射線治療をしたのに、こんなにあっという間に再発してしまうなんて、癌って本当に残酷だ。

電話の会話は続いていたが、なんだか、頭の中が真っ白になってしまったように思えた。

一日おきの通院は、疲れるなあ