猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

癌がまた再発して

辛い治療も効果がなかった

 

うにがほとんど食事をしなくなり、私もかなり不安になって、テシエ先生の休暇中ではあったが同じ診療所の先生に診ていただくことにした。

食欲不振だけではない。

口の右下と首の間に、またしても米粒より少し大きいぐらいの固いしこりを見つけてしまっていた。

このしこりを見つけた時の、心の奥までシンと冷え切ったような感覚はいつまでも忘れることがないだろう。これまでうにと一緒に二人三脚で頑張ってきた治療。その全てが無駄だったのかと思うと、悲しいというより空しい。あれをまた最初から全部やり直し? 目の前が真っ暗になってしまった。

もしまたうにに手術を受けさせるとしたら?

今、私の目の前で眠っているうにの喉には、縦10センチほどもある前回の手術の傷跡がある。今度はどこを切るのだろう。また痛い思いをすることになる。何より、もう2度も手術しているのにあっという間に再発しているのだから、今度手術をしてもすぐ再発してしまうのではないだろうか。

結局のところ、放射線抗がん剤も効果がなかったのだ。

これまでうにの癌を退治できると信じて、たくさんの治療をしてきたけれど、うにに辛い思いをさせただけだった。

それなら、うにをこれ以上痛い目に遭わせたくない! 治る見込みがあるならともかく、ちょっとだけ長生きさせるために、苦しませたくない。

でも、うにがこれからどんどん痩せて、癌で顔がパンパンに腫れあがって、苦しんで死んでいくのを見るのがこわい。

だからといって、死を先延ばしにできるのだろうか?

 

死と向き合うのがこわい

 

私たちは誰でも、いつかは死んでしまう。

うにが病気になる前から、私は自分が死んだらどうなるのか考えると怖かった。自分はどうやって死ぬんだろう。事故?病気? とにかく痛いのは嫌だな。

死の苦しみも怖いが、もっと怖いのは、慣れ親しんだ自分自身がいなくなってしまうことだ。若いころには自分の欠点ばかりが気になり、自分が好きでなくなってしまった時期があった。でも、あれから長い時間が経って、最近は細かいことはあまり気にならなくなってきた。もう50年以上も付き合ってきた自分なのだから、いい加減愛着が湧いても不思議ではないのだろう。相変わらずダメなところはたくさんあるが、基本的には真面目でわりと集中力もあるし、好奇心もあるし。食べることと旅行、本が大好きな私。少なくとも意地悪な、イヤな奴ではないし、いつまでもネチネチと根にもつほうでもない。

一時期、ものすごい気分の落ち込みが時折発作的に起きていたのだが、いつの間にかそんなことも殆どなくなった。どうして気持ちが軽くなったんだろうと考えているうち、ありのままの自分をいつの間にか受け入れていることに気づいた。だから、今では、ナルシストにならない程度には自分を好きになり、自分の存在を肯定できれば精神的にとても楽になれるのではないかと思っている。ちょっとした鬱状態ぐらいなら、それだけで改善しそうだと感じるほどだ。

その一方で、年齢を重ねてやっとダメな自分を受け入れることができるようになったからこそ、自分との別れ、そして自分が大好きな人やものたちとの別れが怖い。そんな私にとって、死とは、向き合うのをできるだけ先延ばしにしていたい事柄だった。

それでも時間だけは経ち、祖父母はいなくなり、両親も自分もどんどん年を取っていく。今は、思いがけず近づいたうにの死に直面してうろたえている私だ。

でも、もう逃げられない。自分が悲しみたくないからという理由で、うにに無理をさせることはできない。このままうにを静かに過ごさせてやろう。あとどのぐらい生きていられるかわからなくても。

 

うにの体調不良

 

獣医さんに診てもらったうにのしこりは、やはり癌の再発だろうということだった。ネコの頭部はとても小さいし、すでに二度の手術をしているので、再度手術をしたとしてもうまく患部を切り取れるかどうかはわからないという話だった。身体の他の部位に転移していないかどうかを調べるため、全身の検査を勧められたが、それはテシエ先生が戻ってからのほうがいいと伝えた。そこで、とりあえず食欲を促進する薬を2種類飲ませて、様子を見ることになった。

家に戻り、早速薬を飲ませてしばらくすると、うには勢いよくエサを食べた。そして歩いて居間に戻ってきたところで盛大に吐いた。

「ママ、うにが吐いちゃったよ!」と娘が言うので見てみると、居間の絨毯にかなりな量の吐瀉物があった。水分も多いがエサの形がややわかる、もやもやした形の固形物が見える。そして、便の形をした塊も二つあったのでびっくりした。一方、悪臭はそれほどでもなかった。

娘が手際よく片付けてくれたので、わたしはうにを探す。夫の部屋にうずくまっているのを見つけたが、じっとして目を細め、あまり反応がない。しばらくすると、弱々しい鳴き声を出して、よろよろとした足取りでまた居間に向かい、テーブルの下に置いてあったキャリーケースの中に入った。具合が悪そうな様子だ。薄暗いところで独りになり、静かに身体を休めたいのだろう。そっとしておこうと思うのだがとても気になる。身体が薬を受け付けなかったのだろうか。こんなことなら、獣医さんに連れて行かないほうがよかったのかもしれない。少なくとも、もう薬を飲ませるのはやめよう。

夜、私たちが居間でテレビを見ている間も、キャリーケースの中のうには音もたてずにじっとしていた。まさか、今すぐどうこうということはないだろうけど…。覗き込んでうにを見ようとするたび、娘に止められる。彼女のほうがよっぽどどっしりと構えているようで、いちいちオロオロしている自分がちょっと恥ずかしかった。

翌日になると、うには徐々に元気を取り戻し、少しずつ食事もするようになった。まだ満足な量には程遠いが、怖くて薬は与えられない。来週休暇から戻るテシエ先生の診察予約は、すでにかなり埋まっていたが、どうにか空き時間を見つけてもらった。

あと一週間、こんな調子では心細いと思っている中、娘も夏休み終了でヴァランシエンヌに帰ってしまった。相変わらず食が細いうにだが、少しでも食べてくれるならと、いつものカリカリ以外にもスープやジュレなど色々なタイプのエサを買って与えてみた。袋を開けると、なんの肉だかわからない茶色い塊がソースと混ざって入っている。うにはまずソースを勢いよく舐めたものの、肉はちょっぴり食べただけで残す。鶏肉をほぐしたようなもののほうが気に入ったようで、お腹が空いているときはほぼ一缶食べることもあった。私はうれしくなって駅の近くのスーパーまで歩いて行き、その銘柄を買い占めて意気揚々と帰ってきた。

うにの目の前のお皿に、缶の中身を空け、「たくさん食べてね!」と声をかけたのに...。うには上のソースだけ舐めて、鶏肉は丸々残してしまった。

ネコは短い周期で好みが変わるというが、この数か月、うにが喜んで食べてくれるものを模索する日々が続いていた。それでも、うにが少しでも元気になってくれるなら、このぐらいは苦労のうちに入らないと思った。

 

子猫だったくろちゃんも、すっかり大きくなって