猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

うにのいない家

喪失感におそわれて

 

うにが旅立ってからの家の中は、びっくりするほど静かだった。それなのに習慣とは恐ろしいもので、私は、まだうにの姿を知らず知らずのうちに探していた。うにと一緒に寝ていた布団を片付け、自分のベッドで眠るようになっても、うにが私を後ろで見ているのではないかと振り向いて確かめたくなる。そしてそのたび、うにがいないことに愕然としてしまうのだった。

カリカリが食べられなくなったうにのために、様々な種類を用意してあったフードのほとんどは、姑の猫に進呈した。トイレやネコの泉、食器などは処分してしまおうかと思ったけれど、数週間後にはクリスマス休暇で娘がくろちゃんを連れてくるから、とりあえずそのまま置いておくことにした。

仕事に戻ると、同僚たちがお悔やみを言ってくれる。誰かにうにの話を聞いてもらい、仕事をし、日中は以前のように時間が過ぎる。

しかし、本当に辛いのは家に帰ってからだ。

ドアを開ければ聞こえるはずのうにの声、窓辺のテーブルに寝そべっているはずのうにの姿、ごはんが欲しくて足元にまとわりつくうにの身体の感触。それらはきれいさっぱり消えていて、うにの気配は跡形もなくなっている。家にいると、うにがもういないという現実をいやというほど突きつけられてしまう。

「うにちゃん、どこに行っちゃったの?」

数日前にうにの最期を見届けたはずなのに、気が付けば、姿のないうにに呼びかけている。でも、どんなに話しかけても、もううにには会えない。どうしていなくなっちゃったの? いいようもなく寂しい。そう感じ始めると、もうたまらない。涙があふれ出て止まらなくなる。それはまるで、身体じゅうの水分が鼻の奥に集まってきて、両目から噴き出してくるような感じだった。

すでに、うにを見送ったことについての後悔はなかった。食事ができなくなり、痩せたうにの姿を見るのはたまらなかったけれど、今はもう、病気の苦しさから解放されたのだから。私だって、もし治らない病気に罹ってしまったら、苦痛の末に死を迎える前に、うにのように静かに旅立ちたいと思う。しかし、今はただただ、うにがそばにいないのが辛い。辛いだけでなく、どうしてこんなに早く逝ってしまったのか、という憤りさえ感じてしまう。そして、そんな寂しさ、辛さ、憤りなど、全ての感情はぶつける所もないまま、ぐるぐると心の中に渦巻いているだけだった。

もうここにいない者をいくら思っても、連れ戻すことはできないという無力感。私は、遺された者の悲しみというものを、初めて知った気がする。うにとの別れは突然のものではなかったし、心の準備をしてきたつもりもあった。なのに実際、うにの死に直面してみたら、そんなものは全て吹っ飛んでしまったみたいだ。

ひとつの存在が世の中から消えるということ。それでも物事の大勢には全く影響がないように見える。この世界はいつもと同じように動き続けているようだ。でも…。長い間、誰にも気にかけられず外で暮らしてきたうにだって、保護団体の人達に助けれられてから、何人もの人たちと関わってきた。そしてその死が今、少なくとも私という一人の人間にものすごい喪失感を与えているのだ。一匹の名もない猫であるはずのうにが、いつしか私にとってはそれほど重要な存在になっていたのだ。考えてみたら、私たちはみんな、周囲と何らかのつながりを持って生きている。そして、大きく見える世界だって、その構成をたどっていけば、最後には一つ一つの小さな存在に行きつくのだ。だから、「私一人ぐらい、世の中からいなくなってもどうってことない。」などと言う人がいたら、本当にそうなのか、考え直してほしいと思う。

 

くろちゃんの優しさに触れて

 

うにと別れて2週間が経ち、娘がくろちゃんを連れて帰ってきた。うにの食器でごはんを食べ、うにの爪とぎで爪を研ぐくろちゃん。初めてうちに来たときは小さな子猫だったのに、今ではとても立派な体格になり、ふさふさの尻尾はまるで狐の尻尾のような存在感だ。素直な性格はそのままだが、長い時間撫でられたり構われたりするのを嫌い、気が変わればフラリとどこかに行ってしまうおとなの猫になった。それでも気が付くと、いつの間にか娘に寄り添っているくろちゃん。彼らができるだけ長く、一緒にいられることを願わずにいられない。

それにしてもくろちゃんは、うちに来れば必ず顔を合わせていたうにがいなくなくなったことを、どう思っているのだろう。猫はポーカーフェイスが得意だから、くろちゃんの様子も実に淡々としたものだった。でも、私は、くろちゃんはうにがもう帰って来ないことを知っていたと思う。ある夜、ソファでくつろいでいる娘の身体の上に乗ってきたくろちゃん。もう私の膝に乗ってくれる子はいないんだな、とうらやましく、少し寂しく眺めていると、ふと立ち上がってこちらに歩いてきた。そして私の腿の間にすっぽり収まると、丸くなって眠り始めたのだ。しばらくぶりに感じる、猫の身体の温かさと規則正しい呼吸のリズム。うにが同じようにしてくれていたのはそんなに前のことでもないのに、とても懐かしく、とても嬉しかった。くろちゃんはきっと、私を慰めようとしてくれたんだろう。やっぱり猫っていいな。猫は優しい、素敵な生き物だ。そんな猫のすばらしさを、私に最初に教えてくれたのはやっぱりうに。今更言っても仕方がないけど、うにともっと長く、一緒にいたかったな。

 

うにとの思い出を写真に残して

 

娘からのクリスマスプレゼントは、うにの写真を収めた小さな額縁だった。写真の周りに、小さなイラストが描かれている。それは、うにが好んで入っていたタルトの形のクッションの、「うにタルト」。それから時々じゃれついて遊んでいた、フルーツの形をしたカラフルなクッション。そして写真の中のうには、なんだか眠たそうな目をこちらに向けている。そうそう、この表情。時々こんな顔をしていたっけな。そういえば、パソコンにも、携帯にも、たくさんの写真やビデオが残されている。片脚を上げて、毛づくろいするうに。居眠りしているうちに、ソファと私の身体のあいだに、すっぽり埋まってしまったうに。おもちゃのネズミを、じっと見つめるうに。それから、なぜか私のバッグの一つがやけに気に入って、その上に座りこんで得意そうな表情を見せるうに。

私は、たくさんの写真を改めて眺めた。それぞれに思い出がある。見ればその時の情景が一つ一つ心に浮かんでくる。そこにいるのは、病気で弱ったうにではなく、ぽっちゃりして元気なうにだった。これからも私の心の中に生きていくのは、やっぱり元気な頃のうにでいて欲しい。私はたくさんの写真の中から、とびきりかわいい姿や面白い表情を選んでアルバムを作ることにした。夢中になって作業し、インターネットで注文して、一週間ほどで手元に届いたアルバム。私の机のすぐ横の本棚に置いて、いつでも見られるようにしてある。こうしてみると、やっぱりダラダラしていることが多かったうに。外で暮らしていたのが嘘のように、思い切り身体を伸ばして、気持ちよさそうに寝ているうに。

豪華な生活はさせてあげられなかったけど、せめてうちでしばらくのんびりできたかな。だとしたら、私も嬉しい。

 

年末も押し迫ったころ、獣医さんの診療所から連絡があり、うにの遺骨と遺灰を受け取りに行った。テシエ先生は休暇でお会いすることができなかったので、お礼を伝えてもらうよう、受付でお願いしておく。帰宅して箱を開けると、遺骨と遺灰は、立派な茶筒のような容器に収められていた。これは本来なら、然るべき場所に埋葬しなければならないのだろう。でも、アパート住まいの私たちには自分の庭がない。それに、たくさんの人が通る敷地では、うにも安心して眠ることができないのではないだろうか。だから、何年かしてここを引き払い、小さな庭のある田舎の家に引っ越せるようになるまで、うにには私の隣にいてもらうことにしよう。

 

お気に入りのバッグの上でまったりするうに