猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

うにと私の953日

うにがいなくなってもうすぐ2年

 

2020年の12月4日にうにが亡くなって、もうすぐ2年が経とうとしています。

今でも、毎日のようにうにを思い出します。猫に関しては全くの初心者であった私にとっては、賢いうにに教えてもらうばかりの日々でした。

うにの闘病に関しては、メモ書きのようにして経過を記録していました。当時はセカンドオピニオンを受けることを検討していたのもあり、それが必要になると思っていました。また、癌の治療に関わる検査結果、薬の処方箋、病院の領収書なども、ほぼすべて保存していました。ですが、今回文章にまとめたのを機会に、思い切って処分することにしました。

たくさんの治療を受けさせたのがよかったのかどうか、色々と思い返してしまうのですが、時間を巻き戻すことはできません。

それでも今、私の心に一番強く残っているのは、初めて獣医さんに行ったとき、びっくりするほど凶暴だったうにが、どんどん治療に協力的になり、獣医さんや看護師さん、職員の方々にとてもかわいがっていただいたことです。そんなうにのおかげで、私も頑張って病院通いをすることができました。

うに、ほんとにえらかったね、ありがとう! と言いたいです。

 

うにと過ごした日々

 

953日。思いがけないうにとの出会いから、別れまでに過ぎた時間です。

それは一日一日が同じ密度ではありませんでした。うには過剰にベタベタされるのを嫌い、こちらに寄ってこようともしないことがよくあったので、毎日が淡々と過ぎていた時期もあります。でも、病気が発見されてからは、色々な治療のためにうにと過ごす時間が増えました。そして、賢いうには、何とか病気を治してあげたいという、私の至らぬ努力を察してくれていたと思います。いつも一緒に通院して、大変な治療を頑張ってくれたうに。だから皮肉なことですが、病気がうにと私の距離を縮めたといえるかもしれません。

病気になる前でも、うにが我が家に来てからというもの、家に帰れば「うにちゃん、ただいま。」と、まず声をかけるのが習慣になっていました。思ったような反応が返ってこなくても、うにがいてくれるだけで幸せでした。毎日うにに話しかけていると、この歳になって、新しい親友ができたような気がして嬉しかったです。同じ言葉で語り合うことはできないけれど、時々、中に人間が入っているのではないかと錯覚するほど、雄弁だったうにの表情。日中嫌なことがあっても、夜、私のお腹の上で寝ているうにののんきな顔を見れば、「大丈夫、大丈夫。そんなの大したことないよ」、と言われている気がしました。うにが近くにいるということが、私にいつも元気を与えてくれていたのだと改めて実感しています。

うにの病気に初めて気づいたとき、私の不安を察したように膝に乗ってきてくれたこと。

病気がいよいよ悪化する前、短いバカンスから帰ってきた時に、さりげなく私の隣に来て、「おかえり」とでも言うように体を寄せてきてくれたこと。

最後の日々、ずっと私のそばを離れずに一緒にいてくれたこと。

言葉で話す代わりに、身体を寄り添わせて気持ちを伝えてくれたうに。むしろ言葉で表現するより、うにのぬくもりと優しさをじかに感じられたように思います。

そんなうにからのメッセージを、私はこれからもずっと忘れないでしょう。

 

うにからのメッセージ

 

それにしても、うにはきれいさっぱり気配を消して、私の前からいなくなってしまいました。長寿猫と言われるまで長生きしてほしかったと今でも思うけれど、毎日を頑張って生きたから、えらかったねと褒めてあげるべきなのでしょう。うには私にとって唯一の存在で、うにの代わりになる猫はいません。でも…。うにが亡くなってしばらくすると、厳しい寒さの中、外で見かける猫たちがそれまで以上に気になり始めました。

猫を飼ってみたい気持ちが大きくなっていたのに、あと一歩が踏み出せずにいた私のところに来てくれたうに。そんなうにが作ってくれた居場所を、なくしてはいけないのではないか、と思うようになりました。できれば、何頭でも来てもらいたいけど、我が家のスペースや経済的事情を考えると、やっぱり多頭飼いは無理です。それでも、全く受け入れる場所がないよりはましです。

「ここのうちには、ちょっと大げさでうるさいオバさんと、やたら大雑把で空気が読めないオジさんがいるけど、あったかい寝床と一応ちゃんとしたごはんがあるよ。困っているんなら、おいで。居場所があるよ。」

うにもそう言っているような気がしました。

だから、住むところがなくて困っていて、我が家に来てあげてもいいよ、という猫がいたら歓迎したいと思いました。うにがいた場所。うにが明け渡してくれた場所。ご縁があったら、そこにいつかまた誰かを迎えいれ、その子とも友達になれたら嬉しいと思いました。

そして新たな出会い

 

今我が家には、新しい住人(住猫)がいます。

前の飼い主に捨てられてしまった、5歳の男の子。

どんな経緯があったのか、とても臆病で、怖がりが嵩じて攻撃的な態度を取ることもあり、まだまだ猫初心者の私にとっては、なかなか手ごわい相手です。それでも、少しずつ仲良くなってきました。いまではコツン、コツンと頭突きをして、私に甘えてくるようにもなりました。

幸い、今のところお互い元気なので、これから時間をかけて、付き合っていきたいです。彼もまた、私に色々なことを教えてくれるでしょう。

機会があれば、この子との物語も書き留めてみたいです。

 

うにちゃん、猫の天国で元気にしているかなあ?

 

 

うにのいない家

喪失感におそわれて

 

うにが旅立ってからの家の中は、びっくりするほど静かだった。それなのに習慣とは恐ろしいもので、私は、まだうにの姿を知らず知らずのうちに探していた。うにと一緒に寝ていた布団を片付け、自分のベッドで眠るようになっても、うにが私を後ろで見ているのではないかと振り向いて確かめたくなる。そしてそのたび、うにがいないことに愕然としてしまうのだった。

カリカリが食べられなくなったうにのために、様々な種類を用意してあったフードのほとんどは、姑の猫に進呈した。トイレやネコの泉、食器などは処分してしまおうかと思ったけれど、数週間後にはクリスマス休暇で娘がくろちゃんを連れてくるから、とりあえずそのまま置いておくことにした。

仕事に戻ると、同僚たちがお悔やみを言ってくれる。誰かにうにの話を聞いてもらい、仕事をし、日中は以前のように時間が過ぎる。

しかし、本当に辛いのは家に帰ってからだ。

ドアを開ければ聞こえるはずのうにの声、窓辺のテーブルに寝そべっているはずのうにの姿、ごはんが欲しくて足元にまとわりつくうにの身体の感触。それらはきれいさっぱり消えていて、うにの気配は跡形もなくなっている。家にいると、うにがもういないという現実をいやというほど突きつけられてしまう。

「うにちゃん、どこに行っちゃったの?」

数日前にうにの最期を見届けたはずなのに、気が付けば、姿のないうにに呼びかけている。でも、どんなに話しかけても、もううにには会えない。どうしていなくなっちゃったの? いいようもなく寂しい。そう感じ始めると、もうたまらない。涙があふれ出て止まらなくなる。それはまるで、身体じゅうの水分が鼻の奥に集まってきて、両目から噴き出してくるような感じだった。

すでに、うにを見送ったことについての後悔はなかった。食事ができなくなり、痩せたうにの姿を見るのはたまらなかったけれど、今はもう、病気の苦しさから解放されたのだから。私だって、もし治らない病気に罹ってしまったら、苦痛の末に死を迎える前に、うにのように静かに旅立ちたいと思う。しかし、今はただただ、うにがそばにいないのが辛い。辛いだけでなく、どうしてこんなに早く逝ってしまったのか、という憤りさえ感じてしまう。そして、そんな寂しさ、辛さ、憤りなど、全ての感情はぶつける所もないまま、ぐるぐると心の中に渦巻いているだけだった。

もうここにいない者をいくら思っても、連れ戻すことはできないという無力感。私は、遺された者の悲しみというものを、初めて知った気がする。うにとの別れは突然のものではなかったし、心の準備をしてきたつもりもあった。なのに実際、うにの死に直面してみたら、そんなものは全て吹っ飛んでしまったみたいだ。

ひとつの存在が世の中から消えるということ。それでも物事の大勢には全く影響がないように見える。この世界はいつもと同じように動き続けているようだ。でも…。長い間、誰にも気にかけられず外で暮らしてきたうにだって、保護団体の人達に助けれられてから、何人もの人たちと関わってきた。そしてその死が今、少なくとも私という一人の人間にものすごい喪失感を与えているのだ。一匹の名もない猫であるはずのうにが、いつしか私にとってはそれほど重要な存在になっていたのだ。考えてみたら、私たちはみんな、周囲と何らかのつながりを持って生きている。そして、大きく見える世界だって、その構成をたどっていけば、最後には一つ一つの小さな存在に行きつくのだ。だから、「私一人ぐらい、世の中からいなくなってもどうってことない。」などと言う人がいたら、本当にそうなのか、考え直してほしいと思う。

 

くろちゃんの優しさに触れて

 

うにと別れて2週間が経ち、娘がくろちゃんを連れて帰ってきた。うにの食器でごはんを食べ、うにの爪とぎで爪を研ぐくろちゃん。初めてうちに来たときは小さな子猫だったのに、今ではとても立派な体格になり、ふさふさの尻尾はまるで狐の尻尾のような存在感だ。素直な性格はそのままだが、長い時間撫でられたり構われたりするのを嫌い、気が変わればフラリとどこかに行ってしまうおとなの猫になった。それでも気が付くと、いつの間にか娘に寄り添っているくろちゃん。彼らができるだけ長く、一緒にいられることを願わずにいられない。

それにしてもくろちゃんは、うちに来れば必ず顔を合わせていたうにがいなくなくなったことを、どう思っているのだろう。猫はポーカーフェイスが得意だから、くろちゃんの様子も実に淡々としたものだった。でも、私は、くろちゃんはうにがもう帰って来ないことを知っていたと思う。ある夜、ソファでくつろいでいる娘の身体の上に乗ってきたくろちゃん。もう私の膝に乗ってくれる子はいないんだな、とうらやましく、少し寂しく眺めていると、ふと立ち上がってこちらに歩いてきた。そして私の腿の間にすっぽり収まると、丸くなって眠り始めたのだ。しばらくぶりに感じる、猫の身体の温かさと規則正しい呼吸のリズム。うにが同じようにしてくれていたのはそんなに前のことでもないのに、とても懐かしく、とても嬉しかった。くろちゃんはきっと、私を慰めようとしてくれたんだろう。やっぱり猫っていいな。猫は優しい、素敵な生き物だ。そんな猫のすばらしさを、私に最初に教えてくれたのはやっぱりうに。今更言っても仕方がないけど、うにともっと長く、一緒にいたかったな。

 

うにとの思い出を写真に残して

 

娘からのクリスマスプレゼントは、うにの写真を収めた小さな額縁だった。写真の周りに、小さなイラストが描かれている。それは、うにが好んで入っていたタルトの形のクッションの、「うにタルト」。それから時々じゃれついて遊んでいた、フルーツの形をしたカラフルなクッション。そして写真の中のうには、なんだか眠たそうな目をこちらに向けている。そうそう、この表情。時々こんな顔をしていたっけな。そういえば、パソコンにも、携帯にも、たくさんの写真やビデオが残されている。片脚を上げて、毛づくろいするうに。居眠りしているうちに、ソファと私の身体のあいだに、すっぽり埋まってしまったうに。おもちゃのネズミを、じっと見つめるうに。それから、なぜか私のバッグの一つがやけに気に入って、その上に座りこんで得意そうな表情を見せるうに。

私は、たくさんの写真を改めて眺めた。それぞれに思い出がある。見ればその時の情景が一つ一つ心に浮かんでくる。そこにいるのは、病気で弱ったうにではなく、ぽっちゃりして元気なうにだった。これからも私の心の中に生きていくのは、やっぱり元気な頃のうにでいて欲しい。私はたくさんの写真の中から、とびきりかわいい姿や面白い表情を選んでアルバムを作ることにした。夢中になって作業し、インターネットで注文して、一週間ほどで手元に届いたアルバム。私の机のすぐ横の本棚に置いて、いつでも見られるようにしてある。こうしてみると、やっぱりダラダラしていることが多かったうに。外で暮らしていたのが嘘のように、思い切り身体を伸ばして、気持ちよさそうに寝ているうに。

豪華な生活はさせてあげられなかったけど、せめてうちでしばらくのんびりできたかな。だとしたら、私も嬉しい。

 

年末も押し迫ったころ、獣医さんの診療所から連絡があり、うにの遺骨と遺灰を受け取りに行った。テシエ先生は休暇でお会いすることができなかったので、お礼を伝えてもらうよう、受付でお願いしておく。帰宅して箱を開けると、遺骨と遺灰は、立派な茶筒のような容器に収められていた。これは本来なら、然るべき場所に埋葬しなければならないのだろう。でも、アパート住まいの私たちには自分の庭がない。それに、たくさんの人が通る敷地では、うにも安心して眠ることができないのではないだろうか。だから、何年かしてここを引き払い、小さな庭のある田舎の家に引っ越せるようになるまで、うにには私の隣にいてもらうことにしよう。

 

お気に入りのバッグの上でまったりするうに

 

うにとのお別れ

いよいよ獣医さんへ

 

獣医さんの診療所までは、歩いても10分かからない距離だ。それでも夫が付き添ってくれるというので、うにを車に乗せた。キャリーケースのファスナーを少し開けると、早速顔を出して車内を見まわした。

私たちの他には誰もいない待合室でも、うには頭だけ出して周囲を観察していた。私は今後のことについて説明を受け、書類にサインして会計を済ませた。他の動物と合同で火葬された場合は、遺灰を返してもらうことができない。だから個別の火葬を選び、数週間後に獣医さんを通して遺骨を受け取るようお願いした。手続き上仕方がないとはいえ、まだ生きているうにがすぐそばにいるというのに、死後の話をするのはつらいし、変な感じがする。

諸手続きが終わると、さほど待つこともなく、呼ばれて診察室に入る。テシエ先生ではなく、前回患部の処置をしてくださった先生がうにの安楽死を担当してくださる。

「やはり、決断されたのですね。でも、これまでできることは全てされました。そのおかげでこの子の命も延びたのですよ。」

確かに、色々な治療によって、うにの命を数か月延ばしてやることはできたかもしれない。治療の苦痛やストレスと引き換えに得られた数か月。それがよかったかのかどうか、今はもう深く考えたくないし、考えても意味がない。私たちはその時々で最善だと思ったことを選んで実行しただけだ。

そんなことを思いながらキャリーケースからうにを出そうとしたとき、中でうんちをしていたことに気づく。

「あらあら。」

ちょっとした笑いが起こり、その場の雰囲気がが少し和んだ。それにしても、固形物を口にできなくなってから、うにの便通は数日に一度になっていたし、特にここ数日は水もあまり飲まなくなっていたのでびっくりした。コロコロした小さなうんちは、まだうにが生きていることを実感させた。最後まで頑張っているな、と改めてうにの生命力の尊さを思った。

 

うにの最期

 

「まず、麻酔薬を注射して眠らせます。それから、致死量の麻酔薬を再度身体に注入すると、数分ほどで呼吸が止まります。すでに動物は眠っているので苦痛はありません。」

「最後まで立ち会われますか? もしお辛いようなら、外でお待ちになっても構わないのですが。」

獣医さんは私たちの気持ちを推し量るようにおっしゃった。

うにの最期の瞬間を見るのは辛い。それでも、うにを知らない場所で知らない人たちに囲まれて死なせるわけにはいかない。最後まで付き添うと決めたからには、悲しくても頑張って見届けよう。

私たちは、ずっとうにのそばについていることにした。

最初の注射では、多少の吐き気が出るという。前脚の毛を少し剃って最初の麻酔薬が注射されると、うにはケホケホッと小さな乾いた咳をしたが、吐くものは何もなかった。それから、もう家に帰りたかったのか、診察台に置かれたキャリーケースに向かって数歩歩いたものの、ゆっくり目を閉じて横になった。

その間1分も経っていなかったように思う。本当にあっという間に眠り込んでしまったうに。もうこれで二度と目を覚ますことはない。

「それでは、よろしいですか。」

今度は、一ミリほどの細いチューブを通して麻酔薬が投与される。薄いピンク色の液体がツーッと管を通り、先端の針を通してうにの身体に入っていく瞬間を私たちは見守っていた。

すると呼吸に合わせて規則正しく上下していた、うにの腹部の動きがだんだんゆっくりになり、やがて止まった。かなり長い時間かかったように感じられたが、実際は数分間もかかっていなかったと思う。

すでに涙がどんどん流れ出し、止まらなくなっている。私たちがしばらくの間、うにとお別れの時を過ごせるようにと、獣医さんは静かに部屋を出て行った。

「うにちゃん、うにちゃん。」

全ての動きを止めたうにの身体に声をかける。

静かな、本当に静かな最期だった。うにの苦しむ姿を見ずに済んだことが、何よりの救いだと思った。ただ眠っているだけのように見えるうにの身体。柔らかい毛並みに触れても、生きていたときとまるで変わらない。でも長い尻尾を持ち上げてみると、それはびっくりするほど軽いただの毛の束になってしまっていて、うにの身体がすでに抜け殻であることを実感する。尻尾は、猫の身体で最も敏感で大切な部分のひとつであり、たいていの猫は尻尾を掴まれるのを嫌うといわれるが、同時にとても表情が豊かなところでもある。眠っている間も名前を呼べば尻尾を小さく動かして返事をするし、怒っているときは、鳴き声は発しなくてもたたきつけるような激しい尻尾の動きから、私はうにの無言の抗議を感じ取ったものだ。なのに今は、物言わぬうにの尻尾。そうか、やっぱりうにはもうここにはいないんだね。

そして驚くほどのスピードで大きくなり、うにを苦しめた癌。

その患部は今、血や膿も止まり、うにの命と一緒に活動を止めたように見える。

しかし大きくなった腫瘤の中心部あたりの、ひどく化膿していたところはえぐれ、すり鉢状になっていた。それはまるで、月面のクレーターの穴のようだった。それがいつか口の中にまで貫通してしまうのではないかと思うほど、穴は深くなりつつあった。周りの毛も抜け落ち、むき出しの大きな瘤は診察室の蛍光灯に照らされて、不気味に白く光っていた。この光景を見れば、このまま無理にうにを生かしておいても、かえってかわいそうだったという残酷な事実を認めざるを得ない。皮肉なようだが、安楽死によって、うにはもう苦しまなくていいんだと思うと、私も少しだけ救われた気がした。

それから、改めてうにの顔を見る。

きれいな顔をしている。左目は軽く閉じ、眠っている時とほとんど変わらない。ただ、癌に圧迫されて開きにくくなっていた右目だけが、なぜか薄く開いていた。何も見ていない、空っぽの目を直視するのが怖くて、私は指を軽く当てて、瞼を閉じさせようとしていた。でも瞳は閉じようとしない。どうして目が開いてしまうんだろうと思っているうち、獣医さんが入ってきて、とうとううにの身体ともお別れの時が来てしまった。

獣医さんは大きな毛布でうにの身体を包み、「それでは今後のことは私たちにお任せください。」と、うにを別室に連れて行った。私たちが空っぽのキャリーケースを抱えて出口に向かうと、受付の方も「しばらく辛いでしょうけど…。頑張ってくださいね。」と声をかけてくださったので、これまでのお礼を言って外に出た。

 

うにのいない家へ

 

夫も私も無言で車に戻ったが、どちらからともなく、ここ数日のあれこれで冷蔵庫がすっかり空っぽだ、という話になった。このまま家に直行するのも嫌だし、帰る前に、スーパーで食品の買い出しを済ませることにした。広い店内は明るく、たくさんの人達がいて、なんだか別世界に来たような奇妙な感覚になった。そして先程まであふれ出していた涙は、とりあえず目の奥に引っ込んだようだ。悲しいというより、空虚感が大きい。いるのが当たり前だと思っていたうにが、もういないなんて不思議だ。

そしてついさっきお別れしてきたはずなのに、家に帰ってもまだうにがいるような気がする。うにの爪とぎ。トイレ、水飲み、お皿、たくさんのフード、それからうにが好んですっぽりと入っていたクッションの、うにタルト。うにが使っていた物は、全部そのままそこにあった。でも、うにの姿だけがない。

夕食を済ませてテレビの前のソファの上に寝そべる。いつもなら、うには窓辺のテーブルの上からこちらを見ていて、気が向いたら私のお腹の上に上ってくるはずだ。

待っていたけれど、やっぱりうには来ない。

すっかり夜も更け、肌寒いのでカーディガンを羽織った。

うにが寝ていたお腹の辺りにうにの毛がついているし、胸の辺りには、まだうにの匂いが残っているカーディガン。

うにがいなくなってしまっても、うにの記憶は家の中のあちこちに残っている。

お別れをしたつもりでもやっぱり、心が現実に追いつかない。

うにに会いたい。

 

最後まで、精いっぱい生きたうに

 

あと二日の命

仕事を休んで、うにのそばで過ごす

 

うにの旅立ちを見送る覚悟をした翌日、仕事に向かう電車の中で、私はどうやって明日の仕事を休むかばかりを考えていた。

ペットの安楽死に立ち会うというのは、仕事を休む正当な理由になるのだろうか。なるような気もするし、そんなことで休むなんてと非難されそうな気もする。とにかく、いざとなったら仮病を使ってでもなんでも休んで、うにの最期に立ち会うのだ。

そうはいっても、嘘をつくのはやはり気分が悪いしなぁ、と悶々としながら職場に着いた。そして朝のブリーフィングが終わって、今週の予定を確認するために同僚が勤務表を持ってきた。明日の勤務予定が目に入った瞬間、涙がどっと吹き出し、気づいたら号泣していた。驚く同僚たちを前にして、私は本当のことを白状せざるを得なかった。

意外なことに、明日の休暇はあっさりと認められた。そのうえ、今日は早退してもいいという。ペットは家族と言うけれど、私が今まで意識したことがなかっただけで、身近な動物との別れを経験した人は多いのだろう。この歳になっても、まだ知らないことがたくさんある。こんなに悲しいなら、動物なんて飼わないほうがよかったのかもしれない。でも…。

思えば初めて娘が猫を連れてうちに来た時から、キャリーケースの中で怯えた目をしたうにを見た時から、もう猫の魔力にやられてしまっていたのだ。

昔、住んでいたのアパートのベランダに来るようになった野良猫の世話を少しの間しただけで、猫のことなんて何も知らなかった私。最初はうにのやることなすこと、見ているのが本当に面白かった。爪を研ぎ、暇さえあれば身体を舐め、決まったところで用を足してちゃんと砂をかける。猫のきれい好きは見事なものだった。それに人間の世話にはなっているけど媚びないし、気に入らないことはちゃんと言う。昼寝を邪魔されたりして嫌な時、いかにも不機嫌そうに「うにゃっ」と短く発する声があまりにかわいくて、それを縮めて「うに」と名付けたぐらいだ。かといって、冷たいわけでは決してない。私たちが集まって食事をしたり、居間でくつろいでテレビを見たりしていると、自分も仲間に入りたくて、さりげなくそばに来る。そのうちにパッと膝に乗り、ゴロゴロのどを鳴らし始めたかと思えば、すっかり脱力して寝入ってしまう。やがて骨まで溶けてしまったかのようにぐだぐだになり、猫の身体ってこんなに長かったっけ、とびっくりするほど遠慮のない姿勢で身体をくねらせ、ソファを占領する。

そんなうにをもっと見ていたかった。うちに来て3年も経たずにいなくなってしまうなんて、ひどいよ…。

色々な思いが頭の中に浮かぶので仕事をしていても集中できず、結局午後には早退させてもらった。

 

うにとの最後の夜

 

急いで家に帰ると、うには相変わらず布団の上でじっとしていた。

液体の高カロリー食を与えようとしたが、頑なに口を閉じ、受け付けようとしない。

「昨日、もういいよ、って言ったでしょ。」とでも言いたそうな目つきで私をじっと見るだけだ。

「ごめんね。もう無理しなくていいよね。」

そうだ。もうこれ以上、うにの嫌なことはしないからね。不思議なことに、昨日の決断をしてから、急にうにが弱ってきたような気がする。すっかり小さくなったうにの背中を撫でる。骨ばかりが目立つようになった身体、ついこの間までまだしっかり肉がついていたはずなのに…。

やがて、ずっと丸くなっていたうにがふいに身体を起こしたかと思うと、黄色いシミがうにの身体からペットシートの上に広がっていった。うにが自分のトイレ以外で用を足すことはこれまで全くと言っていいほどなかったのに。もう、トイレに行く元気もないのだろうか。シートを交換し、うにの濡れた下半身をきれいにしてやると、また丸くなってじっとしている。

私はうにの隣にゴロリと横になり、ユーチューブで昔の映画を見始めた。これ、前にも見たよなあ、まだ東京の実家にいた頃だ、出てる俳優さんたちもまだ若いなあ。そういえばこの人、もう亡くなったんだよな。…なんて独り言を言いながら。

そうこうしているうちにも、少しずつ、確実に時間が過ぎていく。窓の外はすっかり暗くなった。明日の今頃、もううにはいないなんて、やっぱり信じられない。でも、まだ今夜は一緒に寝られる。明日になったって、夕方までは一緒にいられる。まだ大丈夫…。

隣にいるうには、目を細めてじっとしている。昨日私に目で語りかけてきた力強さはもう感じられない。それでも頭を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らす。うには生涯最後の一日を過ごしながら、何を思っているんだろう。もう食べることも飲むこともしない。毛づくろいもせず、置物のようにじっとしている。膿と血で汚れたエリザベスカラーを交換してやる。用心深いうには、慣れないことをされると警戒心をあらわにしたものだったが、最近では何をされても怒らない。患部は顎の下なので正面からは見えないが、顔の右側は腫れているのがわかる。癌に圧迫されているのか、ここ一週間ほどで右目が開きにくくなってきていた。

うにと最後の夜、またペットシーツと布団の間にもぐりこんで寝る。うには私の枕元で丸くなったまま動かない。もう体の上に乗ってくることもなかった。朝になって枕もとを見ると、まだ同じ場所に同じ姿勢でいた。

 

ついにその日が来てしまった

 

そして、いよいようにを見送る日になってしまった。

私は、何をする気力も湧いてこない。

着替えて食事をし、トイレに行く以外、うにの隣にいる。日本のニュースを見れば、相変わらずコロナ関連のものばかりだ。

スマホをいじっているうち、ふと、うにの最期の日の姿を写真に撮っておくことを思いついた。でも、写真の中のうには、どれも痩せて小さく、表情もすっかり生気を失っていて、見ていてますます悲しくなった。

その間にも、獣医さんに行く時間はどんどん迫ってくる。本当に今日でよかったんだろうか。もう少しうにといられる時間を延ばせないだろうか。そんなことをちらっと考えたりするが、弱って痛々しいうにの様子を見ると、やっぱりこれ以上苦しい思いをさせたくない、と考え直す。

以前、顔面の癌にかかってしまった猫の飼い主さんのブログを見たことがあった。端正な顔が見る影もなく崩れ、とても痛々しい姿だった。最後はかなり苦しんで亡くなったようだ。もちろん最期まで自然に任せるという選択肢も飼い主にはあるだろう。でも私にはきっと耐えられない、苦しむうにを見たくない。

「うにちゃん、うにちゃん。」

呼びかけても今日のうには反応が薄い。

獣医さんによれば、具合の悪い猫は物陰に隠れてじっと身体を休めるというし、死期が近づいた猫も人目につかない所に行きたがるそうなので、最後に膝に抱き上げたいと思ったがやめておくことにした。

その代わり、いよいようにをキャリーケースに入れる前に、夫に頼んで私と一緒の写真を撮ってもらった。

うには意外にもカメラ目線で、微笑んでいるようにさえ見えた。

一方の私はといえば、作り笑顔がびっくりするほどおばさんっぽく、我ながらしょぼいと思わざるを得なかった。

うには、自分がキャリーケースに入れられるのは、獣医さんに行く時だと知っていたと思う。一応いやがる素振りをみせながらも、それほどの抵抗もなく中に入った。

もう、ここに帰ってくることはないのに…。

たった数か月前には、ずっしりと重たいキャリーケースを抱えて、病院通いをしていたのが思い出される。あの頃はまだ、うにが治ると信じていたから頑張れた。でも、全ては今日で終わる。

今ではすっかり軽くなってしまったうにを連れて、外に出た。

2020年12月4日、金曜日の夕方だった。すでに日も暮れて辺りは暗く、顔に当たる風がとても冷たかった。

 

すっかり小さくなってしまったうに

 

つらい決断

傷の悪化

 

うにが引っ搔かないよう、柔らかいエリザベスカラーをつけていても、いよいよ患部の膿と出血は止まらなくなった。私の古いシャツを切って布製のカラーの周りに巻き付けているのに、数時間でカラーが濡れてしまうほどの浸出液が出て、悪臭もする。私と交替で朝夕患部を消毒してくれる夫は、その悲惨な様相を見かねて、うにを獣医さんに連れて行ってくれた。じくじくした部分はえぐれて、穴のようになっている。傷口を少しでも乾燥させるために、液体状のアルミニウムを吹き付けてもらった。これで数日は悪化を食い止められそうだが、うにの命はもう、クリスマスまでは持たないでしょうとのことだった。

すでに固形物は食べられなくなっていて、スープも上澄みだけを舐めているけれど、その量は日に日に減ってきていた。もう、口を動かすだけでも苦痛だと思うと、うにがかわいそうでならない。

「自力で食べられなくなってしまった動物は、もう生きてはいけないんだ。もしうにが外で暮らしていたら、とっくに死んでしまっているんだよ。」

夫に言われてもまだ、私はうにの命をあきらめたくなくて、シリンジで高カロリー食の液体を与え続けていた。すでに液体さえ飲み込みにくくなっているようで、一度に口に入れる量が多いと、すぐに溢れて口の周りにべったりとついてしまう。だから、とても小さなシリンジで何度もうにの口に流し込む。初めは唇の横を少し持ち上げて協力的だったうにも、そのうちうんざりした様子でそっぽを向いてしまった。最後はほぼ無理やりに液体を口に流し込み、終わると濡れたタオルで口の周りを拭く。浸出液で胸の辺りの毛が固まり、バリバリになっていたので、蒸しタオルで汚れをふき取る。身体を拭かれる時のうには嫌がる様子もなく、なすがままになっていた。

水を飲みに行ったり用を足したりする以外は、ほとんど動かなくなってしまったうに。日に日に弱っていくようで不安になる。それでも11月の終わりにはフランス二度目のロックダウンが解除され、私も後ろ髪を引かれる思いで職場に戻った。夫が家で仕事をしている限り、うにに何かあれば知れせてくれるはずだとは思うものの、うにのそばにいられないのが悲しかった。

 

もっと、うにと一緒にいたい

 

一日の仕事を終えて帰宅すると、真っ先にうにの様子を見に行く。お気に入りの見張り台になっている、窓辺のテーブルに上ることはまだできるようだ。私がソファに座るとこちらをじっと見つめるうに。慎重にテーブルから飛び降りるとき、後ろ脚からお尻にかけての肉がげっそりと削げ落ちた様子が嫌でも目についてしまう。ソファに寄ってきて前脚をかけ、今度はゆっくりと飛び乗る。私の膝に来ると、両方の前脚で私の左腕をしっかりと掴み、自分の頭を押し付けてきた。私が両腕でうにの身体を抱え込むようにすると、うにもそのまま動かずにいる。元気なころは拘束を嫌ったうにが、自分から身体を預けてきている。動くのもおっくうそうなのに、毎日私が帰ると必ず膝に乗りに来る。基本的にクールでマイペース、気が向かないと寄ってきてもくれなかったうにが、ずっとそばにいたがるようになったのは、いつからだっただろう。

まるで過ぎゆく時間を惜しむように、私の腕の中で身体を密着させているうに。あとどれだけ一緒にいられるかと思うと絶望的な気分になる。それでもうにの身体のぬくもりを感じると、いつの間にかうにの両耳に口を近づけて何度も話しかけていた。

「うにちゃん、頑張ってくれて、ありがとう。」

「うにちゃん、私のこと、忘れないでね。」

「うにちゃん、絶対また会おうね。」

そして、うちに来るまでのうにがどんな暮らしをして生き抜いてきたのか、勝手にいろんな想像をした。いつ、どうして親猫や兄弟猫たちとはぐれてしまったんだろうか。どうやって食べ物を見つけていたんだろうか。寒いときはどこで身体を温めていたんだろうか…。

野良猫の命は短いと言われているのに、逞しく生き抜いてきたうに。

推定年齢10歳の、賢くて立派な猫。

もっと長生きしてほしかった。長生きして、我が家でのんびりご隠居生活を楽しんでほしかったのに。

 

うにを見送る決断をして

 

せっかく獣医さんに処置していただいた傷口は、数日も経たずにますます浸出液が増え、清潔に保つのがいよいよ難しくなった。うにはもう、トイレ以外は動こうとしなくなった。

「もう、うにを苦しませるのはやめて、楽にしてやろうよ。」

夫に言われてもまだ、私は決心できずにいた。

その頃、うには私たちのベッドに行っては私の枕に乗っていた。そのたびにシーツに膿や血を付けてしまうので、泣く泣くドアを閉めると、今度は娘の部屋に行きたがった。そこで、私は娘のベッドの上にペット用のシートを敷き詰めて、うにが汚してもいいようにした。

その日、布団で横になっているうにの様子をみようと目を向けると、うにも私を見上げてきた。その時のうにの眼差しには、はっきりとしたメッセージがあった。フランス語でも日本語でもない、言葉さえ使わずにうには私に話しかけてきていた。こんな不思議な経験は今までなかったのだが、その時はうにの伝えようとしていることがはっきりとわかった。

「もういいんだよ。行かせて。」

これまでに、誰かが私をこんな眼で見つめたことがあっただろうか…。

そう思うほど、温かくて、優しい眼を私に向けているうに。身体はすっかり弱っているはずなのに、力強い眼差しだった。

親友のようでいて、姉妹のようでいて、子供のようでもある、うに…。大好きなうにを、いつもよりもっと、近くに感じた。

 

こうして私は、ようやく自分がやるべきことを悟ったけれど、どうにも獣医さんに電話する勇気が出ない。夫が連絡してくれ、うにの旅立ちは明後日に決まった。

そうなると、今日を入れてもあと3日しかない。しかも明日も明後日も仕事がある。うにとの最後のひとときをどう過ごそうか。

何も特別なことはできないけど、せめてできる限りうにと一緒にいたい。

トイレと食事以外、とにかくうにの隣りにいるんだ。うにが動かないなら、私もずっとそこにいる。

私は早速身の回りの品を娘の布団のそばに運び込み、全ての時間をそこで過ごした。読書したり、スマホを見たり、ちょっとした運動をしたり…。夜寝るときは、敷き詰めたペットシートがずれてしまわないように、全てを布団に安全ピンで留めつけ、まるで私がペットシートに埋もれているような中で眠った。

うには、夕方傷口を消毒されたのが苦痛だったようで、ベッドの下に隠れてしばらく出てこなかった。それでも、夜私が布団に入っていると、そろそろと出てきて、私の足元で丸くなった。翌朝目が覚めると、私の胸の辺りで長くなって眠っていた。以前のうにだったら、重くて息苦しかっただろう。すっかり軽くなってしまったうにの身体。最近はうにの弱ったところしか目につかない。元気だったころのうにを記憶に残したいけれど、今はそれがとても難しい。

それでも、うにを見ていられるのはあと2日半。うにがどんな姿になっても、一緒にいられる時間を大切にしようと思った。

 

すっかり痩せてしまったうにを見るのが辛かった

 

ガンの悪化

しこりが大きくなる

 

10月も半ばを過ぎると、うにのガンはかなり大きくなってきた。顎の下なので、顔の表面から見るとわかりにくいが、まるで人間の額にできるたんこぶのように丸く腫れている。その部分は皮膚も薄いのか、ちょっとしたことで傷つき、出血してかさぶたになる。うににとってはやはりうっとおしいのだろう、時々引っかいてはわずかに出血する。そのうちその部分の毛が抜けて、皮膚がむき出しになってきてしまった。エリザベスカラーを嫌ううにだけれど、やむを得ず時々装着することにする。しかしこれから、傷口が大きくなれば、ずっとエリザベスカラーを付けていなければならなくなるだろう。それでは、病気の苦痛に加えて、さらにうにのストレスを増やすことになってしまう。そこで、ネットで色々と検索し、柔らかい布製のカラーを注文してみた。朱色に白の水玉がついたかわいらしいカラーをつけたうには、まるで大きな花の中に顔があるようで、ちょっとしたコスプレをしているようにさえ見える。時々患部を搔きたそうにするものの、カラーを嫌がる素振りはなかったので、私は少しだけほっとした。

食事もだんだん難しくなってきた。大好きなカリカリを思うように食べられず、こちらも見ているのが辛い。ありとあらゆるフードを買ってきて試してみるが、なかなか気に入ってくれない。固そうな肉片の入っているものはまずダメで、テリーヌ状の物は多少食べてくれる。柔らかそうな具が入ったスープも何とか食べられる。薄切りの具がソースに絡まっているものは、主にソースだけ舐めた。他にも、いつものカリカリをふやかして猫用ミルクを加えてみたり、ウエットフードを具材と一緒にミキサーにかけてみたり、スープを具ごと裏ごししてみたり…。私なりに色々やってみたが、思うように食べてくれない。ぽっちゃりしていたうにがだんだん痩せ、背中の骨が目立ってくる姿を見るのは本当に悲しかった。

日々大きくなってくるガンの勢いを止めることはできないにしても、何か少しでもうににしてやれることはないだろうか?

私はテシエ先生に相談してみることにした。

「だいぶ大きくなってしまいましたね。抗炎症の薬をしばらく与えてみましょう。これで少し食べられるようになるかもしれませんが、残念ながら、劇的な改善は望めないでしょう。」ということだった。

「かわいそうにね。こんな病気になっちゃってね。」先生は申し訳なさそうに、うにに話しかけた。

その時、診察台に座っていたうにが、はっとしたように立ち上がり、テシエ先生の机まで歩いて行った。そして、そこにあった試供品のカリカリの容器に頭を突っ込んで食べようとした。カリカリを頬張り、嚙み砕こうとするうに。ところがしっかりと噛むことはできず、口に入れたそばからポロポロとこぼれ落ちる。しばらく頑張っていたうにも、しまいには諦めてしまったようだ。食欲はまだ多少あるようなのに、思うように食べられないなんて、とても残酷だ。

家に帰り、また柔らかいフードを与えてみる。やはり少ししか食べてくれない。やっぱりうには、好きなカリカリが食べたいのだ。体調があまりよくないからこそ、好きなものだけしか食べたくないという気持ちはよくわかる。本当にうにがかわいそうだ。

 

カリカリが食べられない

 

その日の夜中、私は玄関の方から聞こえる物音で目を覚ました。カサカサ、カシカシ、ゴソゴソ…。何かがこすれるような音が気になり、見に行ってみると、そこにうにがいてびっくりした。足元には、カリカリの入った大きなアルミ袋があり、真ん中あたりにうにの歯の形の小さな穴がいくつか開いている。うには、この大きな袋を台所からここまで引きずってきたのだろうか。カリカリは湿気を防ぐため、いつも数食分だけ瓶に入れて、台所のテーブルに置いてある。それを開けるのは無理だと知って、うにはテーブルの下にある大きな袋を持ってこようと思ったのだろうか。

いつも行儀がよくて、食事時はお皿にカリカリが盛られるまで待っていたうに。これまで自分で勝手に取って食べようとしたことなんてなかった。むしろ今は、食べられるものなら、勝手に食べてくれて構わない。それなのに...。カリカリの袋に開いた穴は小さすぎて、うにの努力も空しく、カリカリは一粒もこぼれ出ていなかった。本当にかわいそうなうに。私はカリカリを取り出してポリ袋に入れ、麺棒で叩いて小さく砕くと、うにの皿に入れた。うには少し食べようとしたけれど、やはり口内のどこかに引っかかるのか、うまく飲み込めない。

それ以来、うにはカリカリを食べることを断念してしまったようだ。

もしかして少しは食べられるかもしれないと、皿に入れ続けていたカリカリは、全く手をつけられる気配もなかった。それどころか、柔らかくても固形物が飲みこめなくなっていくうに。私は猫用のスープを何種類も買って、うにが好きな時に食べられるように用意していた。それでもだんだん食べる量は減っていく。このままでは、ガンだけでなく、栄養失調がうにの身体をますます弱らせてしまうだろう。

 

自力で食べられなくなったうに

 

私は、栄養素が配合された液体に、高カロリーのジェルを混ぜたものを与えてみることにした。これらは本来、手術後など、身体が弱っている時の体力回復に使われるものらしい。だが、薄い褐色をした少しとろみのある液体は、お世辞にもおいしそうには見えない。少しお皿に入れて目の前に置いてみても、案の定うには興味を示さなかった。

なんとかうにに飲ませようと、小さなシリンジを買ってきて試す。猫の口は思ったより小さいし、うには口の右側を開けにくそうにしているので、ごくごく小さいシリンジの先端を、ガンのない側からそっと差し入れてみる。

液体の味は思うほど悪くはなかったようだ。うには飲み込んでくれた。そして、次からは唇をちょっと持ち上げて、シリンジが口に入りやすいように協力してくれた。しかし問題は、シリンジが小さすぎることだ。何度もシリンジを口を入れているうちに、うにもうんざりした様子で、顔をそむけてしまう。一日に必要な量をクリアするためには、何度にも分けて与えるしかない。

11月には、フランスは2度目のロックダウンに入っていたので、私はうにのそばにいてしつこくシリンジを口に入れ続けた。夜、容器の底に残っている液体を吸い上げ、うにに飲ませ終わるとすごい達成感があった。迷惑そうなうにの顔を見ると、気の毒で申し訳なくなるが、こうしてうにの命をつないでいくしかない。

いつまでこんな状態が続くのだろう。もう終わりが近づいてきているのはわかっていた。それでも私はまだ厳しい現実を受け入れられずにいた。そればかりか、栄養がうまく摂れれば、まだしばらくはうにといられるかもしれない、というわずかな希望を捨てられずにいた。眠っている時間が長いものの、起きている間は、私のそばに来てくれるうに。少しでも長く、うにに生きていて欲しい。苦しむ姿は見たくないと言いながらも、うにがいなくなってしまうのがとても怖かった。

 

まるで花の中に顔があるみたい。正面からだと患部はあまり見えない

 

遅い夏休み

夏休みの行き先を決める

 

うにの癌の2度目の再発にかなり落ち込んだが、先日の診察と検査の結果、とりあえず転移はしていないようだった。気付けば、もう9月も半ばに差し掛かろうとしている。

テシエ先生に相談した結果、一週間程度なら、うにを娘に預けて出かけても大丈夫そうだった。幸い、うにの状態は安定していたので、私は改めてバカンスの行き先を探し始めた。とはいえ、一週間ではあまり遠くへは行けない。それに、万が一うにの具合が悪くなった場合は、急いで戻れる程度の距離でなくてはならない。

大急ぎで検討した結果、アルザス地方のコルマール近辺に滞在する計画を立てた。幸いバカンスのシーズンは過ぎていて、出発間際でもなんとか宿を見つけることができた。

アルザスへ向かう前に、まず、娘の家に2泊して、うにの体調と他の猫たちとの折り合いを確認する。

車で2時間半ほどの移動が心配だったが、高速道路に入ったところでうにをキャリーケースからしばらく出してやると、私の膝の上でうつらうつらしたりして、あまり緊張している様子もない。途中の渋滞もなく、順調にヴァランシエンヌに着くことができた。

 

娘の家に着いて

 

家に着いて娘の猫、くろちゃんとうにが会うのは久しぶりだが、鼻先をちょっとくっつけて挨拶した後は、お互い淡々としている。問題はもう一匹の猫、モーだ。まだ若くて元気なオス猫で、見慣れない私たちが来たのが不満らしく、近寄るとフーッ、と威嚇してくる。

ところが、うにの方はといえば、他の猫たちなど全く意に介しないといった様子で泰然としている。我が家に来る前はこの家で2か月間暮らしていたので、その時のことを覚えていたのかもしれない。まるで自分が一番エライとでもいうように、2階へ続く階段に陣取った。

そして、モーがちょっとうにを見た途端、うにがものすごい目つきで睨み返した。すぐに目を逸らして後ずさりするモー。完全にビビッている。階段を登りたそうにしているが、うにが怖くて近寄れないようだ。やがてうには悠然と階段を登って娘の部屋に行き、ベッドに寝そべった。モーが気の毒な気もするが、うにの貫禄には私たちもびっくりしてしまった。しばらくすると、猫たちは三匹三様に好きな場所で過ごすようになり、モーもすっかりおとなしくなって、私にスリスリし始めたりした。

ヴァランシエンヌに着いてからも、うにの食欲や排泄はいつも通りで、特に気がかりなことはなかった。

食事時、うにの皿は他の猫たちの皿から少し離れたところに置いたのだが、いつものカリカリと違う匂いに引き寄せられるように、くろちゃんとモーも興味津々で近づいてきた。そんな二匹の様子を見てもうには余裕綽々。自分の食べ残しを多少つまみ食いする程度は黙認する度量の大きさだ。それはまさに、大姐さんといった風格。もちろん、うにの食事を邪魔する子なんて誰もいない。

ともかく、うにがこの家で一週間無事に過ごせそうでほっとする。

私たち家族も、娘と一緒に庭でバーベキューをしたり、大きな公園を散歩したりして、水入らずの時間を過ごすことができた。

この様子なら、出かけても大丈夫そうだ。何かあったらくろちゃんのかかりつけの獣医さんに診てもらえるよう頼み、私と夫はアルザスに向けて出発した。

久しぶりのハイキングはきつかったが、誰もいない自然の中で、おいしい空気といい景色を満喫して、とてもいい気分転換になった。今年は、これまで経験したことのない「コロナ禍」のために、誰もがストレスを抱えてきたと思う。パリでは、みんなが多かれ少なかれ疑心暗鬼でピリピリしていたが、田舎には、まだ多少はのんびりした雰囲気が残っているような気がした。しかし観光客は少なく、有名なクリスマスマーケットもすでに中止が決まっていて、どこも大変なことには変わりがない。早く事態が好転するよう願うばかりだった。

 

うにと再会

 

あっという間の旅行が終わり、娘の家にうにを迎えに行く。猫たちの様子は毎日のように聞いていたから、約一週間、不安もなく過ごすことができた。その夜は娘にお土産を渡したり、夕食を一緒に食べたりしてにぎやかに過ごした。そして、私がソファに座ると、音もなくうにがやってきて、私の隣に寝そべった。

「うにちゃん、ごめんね、うにちゃんを置いて出かけてきたりして。お留守番ありがとう、明日はおうちに帰ろうね。」と話しかけると、ゴロゴロと喉を鳴らし、私の膝に顎をのせてリラックスし始めた。もとはこの家で暮らしていたうにも、今は私を飼い主だと認めてくれているのだろうか。改めて、うにに留守番させて悪かったな、と思った。私たちがいない間、うには娘のベッドの上で寝ていることが多かったそうだ。他の猫たちに邪魔されることもなく、階段を降りて食事やトイレに行くにもとくに支障はなかったと聞いて、私はほっとした。うにの状態が安定していたおかげで今回の旅行が実現したようなものだ。本当にうにはいい子だ。

娘の家の階段で、にらみをきかせるうに



それにしても、いつもはうちでダラダラしているうにが、こんなに強い猫だとは思わなかった。確かに年齢を重ねているし、生まれた時から飼い猫として生きてきた他の猫たちとは経験値が違う。保護される前のうにの猫生はいまだに謎だが、さぞかし厳しい生活を強いられてきたのだろう。病気のうにがいじめられるのではないかという私の心配は、結局取り越し苦労に過ぎなかった。しかし、うにの逞しさは、外で暮らす猫たちの過酷な暮らしの中で培われてきたことを考えると、感心しているだけではいけないと思った。うにが安心して、ゆったりと生涯の最後のひとときを過ごせるように願うと同時に、今も外で大変な思いをして生きている猫が一匹でも多く幸せになってほしいと思った。