猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

つらい決断

傷の悪化

 

うにが引っ搔かないよう、柔らかいエリザベスカラーをつけていても、いよいよ患部の膿と出血は止まらなくなった。私の古いシャツを切って布製のカラーの周りに巻き付けているのに、数時間でカラーが濡れてしまうほどの浸出液が出て、悪臭もする。私と交替で朝夕患部を消毒してくれる夫は、その悲惨な様相を見かねて、うにを獣医さんに連れて行ってくれた。じくじくした部分はえぐれて、穴のようになっている。傷口を少しでも乾燥させるために、液体状のアルミニウムを吹き付けてもらった。これで数日は悪化を食い止められそうだが、うにの命はもう、クリスマスまでは持たないでしょうとのことだった。

すでに固形物は食べられなくなっていて、スープも上澄みだけを舐めているけれど、その量は日に日に減ってきていた。もう、口を動かすだけでも苦痛だと思うと、うにがかわいそうでならない。

「自力で食べられなくなってしまった動物は、もう生きてはいけないんだ。もしうにが外で暮らしていたら、とっくに死んでしまっているんだよ。」

夫に言われてもまだ、私はうにの命をあきらめたくなくて、シリンジで高カロリー食の液体を与え続けていた。すでに液体さえ飲み込みにくくなっているようで、一度に口に入れる量が多いと、すぐに溢れて口の周りにべったりとついてしまう。だから、とても小さなシリンジで何度もうにの口に流し込む。初めは唇の横を少し持ち上げて協力的だったうにも、そのうちうんざりした様子でそっぽを向いてしまった。最後はほぼ無理やりに液体を口に流し込み、終わると濡れたタオルで口の周りを拭く。浸出液で胸の辺りの毛が固まり、バリバリになっていたので、蒸しタオルで汚れをふき取る。身体を拭かれる時のうには嫌がる様子もなく、なすがままになっていた。

水を飲みに行ったり用を足したりする以外は、ほとんど動かなくなってしまったうに。日に日に弱っていくようで不安になる。それでも11月の終わりにはフランス二度目のロックダウンが解除され、私も後ろ髪を引かれる思いで職場に戻った。夫が家で仕事をしている限り、うにに何かあれば知れせてくれるはずだとは思うものの、うにのそばにいられないのが悲しかった。

 

もっと、うにと一緒にいたい

 

一日の仕事を終えて帰宅すると、真っ先にうにの様子を見に行く。お気に入りの見張り台になっている、窓辺のテーブルに上ることはまだできるようだ。私がソファに座るとこちらをじっと見つめるうに。慎重にテーブルから飛び降りるとき、後ろ脚からお尻にかけての肉がげっそりと削げ落ちた様子が嫌でも目についてしまう。ソファに寄ってきて前脚をかけ、今度はゆっくりと飛び乗る。私の膝に来ると、両方の前脚で私の左腕をしっかりと掴み、自分の頭を押し付けてきた。私が両腕でうにの身体を抱え込むようにすると、うにもそのまま動かずにいる。元気なころは拘束を嫌ったうにが、自分から身体を預けてきている。動くのもおっくうそうなのに、毎日私が帰ると必ず膝に乗りに来る。基本的にクールでマイペース、気が向かないと寄ってきてもくれなかったうにが、ずっとそばにいたがるようになったのは、いつからだっただろう。

まるで過ぎゆく時間を惜しむように、私の腕の中で身体を密着させているうに。あとどれだけ一緒にいられるかと思うと絶望的な気分になる。それでもうにの身体のぬくもりを感じると、いつの間にかうにの両耳に口を近づけて何度も話しかけていた。

「うにちゃん、頑張ってくれて、ありがとう。」

「うにちゃん、私のこと、忘れないでね。」

「うにちゃん、絶対また会おうね。」

そして、うちに来るまでのうにがどんな暮らしをして生き抜いてきたのか、勝手にいろんな想像をした。いつ、どうして親猫や兄弟猫たちとはぐれてしまったんだろうか。どうやって食べ物を見つけていたんだろうか。寒いときはどこで身体を温めていたんだろうか…。

野良猫の命は短いと言われているのに、逞しく生き抜いてきたうに。

推定年齢10歳の、賢くて立派な猫。

もっと長生きしてほしかった。長生きして、我が家でのんびりご隠居生活を楽しんでほしかったのに。

 

うにを見送る決断をして

 

せっかく獣医さんに処置していただいた傷口は、数日も経たずにますます浸出液が増え、清潔に保つのがいよいよ難しくなった。うにはもう、トイレ以外は動こうとしなくなった。

「もう、うにを苦しませるのはやめて、楽にしてやろうよ。」

夫に言われてもまだ、私は決心できずにいた。

その頃、うには私たちのベッドに行っては私の枕に乗っていた。そのたびにシーツに膿や血を付けてしまうので、泣く泣くドアを閉めると、今度は娘の部屋に行きたがった。そこで、私は娘のベッドの上にペット用のシートを敷き詰めて、うにが汚してもいいようにした。

その日、布団で横になっているうにの様子をみようと目を向けると、うにも私を見上げてきた。その時のうにの眼差しには、はっきりとしたメッセージがあった。フランス語でも日本語でもない、言葉さえ使わずにうには私に話しかけてきていた。こんな不思議な経験は今までなかったのだが、その時はうにの伝えようとしていることがはっきりとわかった。

「もういいんだよ。行かせて。」

これまでに、誰かが私をこんな眼で見つめたことがあっただろうか…。

そう思うほど、温かくて、優しい眼を私に向けているうに。身体はすっかり弱っているはずなのに、力強い眼差しだった。

親友のようでいて、姉妹のようでいて、子供のようでもある、うに…。大好きなうにを、いつもよりもっと、近くに感じた。

 

こうして私は、ようやく自分がやるべきことを悟ったけれど、どうにも獣医さんに電話する勇気が出ない。夫が連絡してくれ、うにの旅立ちは明後日に決まった。

そうなると、今日を入れてもあと3日しかない。しかも明日も明後日も仕事がある。うにとの最後のひとときをどう過ごそうか。

何も特別なことはできないけど、せめてできる限りうにと一緒にいたい。

トイレと食事以外、とにかくうにの隣りにいるんだ。うにが動かないなら、私もずっとそこにいる。

私は早速身の回りの品を娘の布団のそばに運び込み、全ての時間をそこで過ごした。読書したり、スマホを見たり、ちょっとした運動をしたり…。夜寝るときは、敷き詰めたペットシートがずれてしまわないように、全てを布団に安全ピンで留めつけ、まるで私がペットシートに埋もれているような中で眠った。

うには、夕方傷口を消毒されたのが苦痛だったようで、ベッドの下に隠れてしばらく出てこなかった。それでも、夜私が布団に入っていると、そろそろと出てきて、私の足元で丸くなった。翌朝目が覚めると、私の胸の辺りで長くなって眠っていた。以前のうにだったら、重くて息苦しかっただろう。すっかり軽くなってしまったうにの身体。最近はうにの弱ったところしか目につかない。元気だったころのうにを記憶に残したいけれど、今はそれがとても難しい。

それでも、うにを見ていられるのはあと2日半。うにがどんな姿になっても、一緒にいられる時間を大切にしようと思った。

 

すっかり痩せてしまったうにを見るのが辛かった