猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

うにとのお別れ

いよいよ獣医さんへ

 

獣医さんの診療所までは、歩いても10分かからない距離だ。それでも夫が付き添ってくれるというので、うにを車に乗せた。キャリーケースのファスナーを少し開けると、早速顔を出して車内を見まわした。

私たちの他には誰もいない待合室でも、うには頭だけ出して周囲を観察していた。私は今後のことについて説明を受け、書類にサインして会計を済ませた。他の動物と合同で火葬された場合は、遺灰を返してもらうことができない。だから個別の火葬を選び、数週間後に獣医さんを通して遺骨を受け取るようお願いした。手続き上仕方がないとはいえ、まだ生きているうにがすぐそばにいるというのに、死後の話をするのはつらいし、変な感じがする。

諸手続きが終わると、さほど待つこともなく、呼ばれて診察室に入る。テシエ先生ではなく、前回患部の処置をしてくださった先生がうにの安楽死を担当してくださる。

「やはり、決断されたのですね。でも、これまでできることは全てされました。そのおかげでこの子の命も延びたのですよ。」

確かに、色々な治療によって、うにの命を数か月延ばしてやることはできたかもしれない。治療の苦痛やストレスと引き換えに得られた数か月。それがよかったかのかどうか、今はもう深く考えたくないし、考えても意味がない。私たちはその時々で最善だと思ったことを選んで実行しただけだ。

そんなことを思いながらキャリーケースからうにを出そうとしたとき、中でうんちをしていたことに気づく。

「あらあら。」

ちょっとした笑いが起こり、その場の雰囲気がが少し和んだ。それにしても、固形物を口にできなくなってから、うにの便通は数日に一度になっていたし、特にここ数日は水もあまり飲まなくなっていたのでびっくりした。コロコロした小さなうんちは、まだうにが生きていることを実感させた。最後まで頑張っているな、と改めてうにの生命力の尊さを思った。

 

うにの最期

 

「まず、麻酔薬を注射して眠らせます。それから、致死量の麻酔薬を再度身体に注入すると、数分ほどで呼吸が止まります。すでに動物は眠っているので苦痛はありません。」

「最後まで立ち会われますか? もしお辛いようなら、外でお待ちになっても構わないのですが。」

獣医さんは私たちの気持ちを推し量るようにおっしゃった。

うにの最期の瞬間を見るのは辛い。それでも、うにを知らない場所で知らない人たちに囲まれて死なせるわけにはいかない。最後まで付き添うと決めたからには、悲しくても頑張って見届けよう。

私たちは、ずっとうにのそばについていることにした。

最初の注射では、多少の吐き気が出るという。前脚の毛を少し剃って最初の麻酔薬が注射されると、うにはケホケホッと小さな乾いた咳をしたが、吐くものは何もなかった。それから、もう家に帰りたかったのか、診察台に置かれたキャリーケースに向かって数歩歩いたものの、ゆっくり目を閉じて横になった。

その間1分も経っていなかったように思う。本当にあっという間に眠り込んでしまったうに。もうこれで二度と目を覚ますことはない。

「それでは、よろしいですか。」

今度は、一ミリほどの細いチューブを通して麻酔薬が投与される。薄いピンク色の液体がツーッと管を通り、先端の針を通してうにの身体に入っていく瞬間を私たちは見守っていた。

すると呼吸に合わせて規則正しく上下していた、うにの腹部の動きがだんだんゆっくりになり、やがて止まった。かなり長い時間かかったように感じられたが、実際は数分間もかかっていなかったと思う。

すでに涙がどんどん流れ出し、止まらなくなっている。私たちがしばらくの間、うにとお別れの時を過ごせるようにと、獣医さんは静かに部屋を出て行った。

「うにちゃん、うにちゃん。」

全ての動きを止めたうにの身体に声をかける。

静かな、本当に静かな最期だった。うにの苦しむ姿を見ずに済んだことが、何よりの救いだと思った。ただ眠っているだけのように見えるうにの身体。柔らかい毛並みに触れても、生きていたときとまるで変わらない。でも長い尻尾を持ち上げてみると、それはびっくりするほど軽いただの毛の束になってしまっていて、うにの身体がすでに抜け殻であることを実感する。尻尾は、猫の身体で最も敏感で大切な部分のひとつであり、たいていの猫は尻尾を掴まれるのを嫌うといわれるが、同時にとても表情が豊かなところでもある。眠っている間も名前を呼べば尻尾を小さく動かして返事をするし、怒っているときは、鳴き声は発しなくてもたたきつけるような激しい尻尾の動きから、私はうにの無言の抗議を感じ取ったものだ。なのに今は、物言わぬうにの尻尾。そうか、やっぱりうにはもうここにはいないんだね。

そして驚くほどのスピードで大きくなり、うにを苦しめた癌。

その患部は今、血や膿も止まり、うにの命と一緒に活動を止めたように見える。

しかし大きくなった腫瘤の中心部あたりの、ひどく化膿していたところはえぐれ、すり鉢状になっていた。それはまるで、月面のクレーターの穴のようだった。それがいつか口の中にまで貫通してしまうのではないかと思うほど、穴は深くなりつつあった。周りの毛も抜け落ち、むき出しの大きな瘤は診察室の蛍光灯に照らされて、不気味に白く光っていた。この光景を見れば、このまま無理にうにを生かしておいても、かえってかわいそうだったという残酷な事実を認めざるを得ない。皮肉なようだが、安楽死によって、うにはもう苦しまなくていいんだと思うと、私も少しだけ救われた気がした。

それから、改めてうにの顔を見る。

きれいな顔をしている。左目は軽く閉じ、眠っている時とほとんど変わらない。ただ、癌に圧迫されて開きにくくなっていた右目だけが、なぜか薄く開いていた。何も見ていない、空っぽの目を直視するのが怖くて、私は指を軽く当てて、瞼を閉じさせようとしていた。でも瞳は閉じようとしない。どうして目が開いてしまうんだろうと思っているうち、獣医さんが入ってきて、とうとううにの身体ともお別れの時が来てしまった。

獣医さんは大きな毛布でうにの身体を包み、「それでは今後のことは私たちにお任せください。」と、うにを別室に連れて行った。私たちが空っぽのキャリーケースを抱えて出口に向かうと、受付の方も「しばらく辛いでしょうけど…。頑張ってくださいね。」と声をかけてくださったので、これまでのお礼を言って外に出た。

 

うにのいない家へ

 

夫も私も無言で車に戻ったが、どちらからともなく、ここ数日のあれこれで冷蔵庫がすっかり空っぽだ、という話になった。このまま家に直行するのも嫌だし、帰る前に、スーパーで食品の買い出しを済ませることにした。広い店内は明るく、たくさんの人達がいて、なんだか別世界に来たような奇妙な感覚になった。そして先程まであふれ出していた涙は、とりあえず目の奥に引っ込んだようだ。悲しいというより、空虚感が大きい。いるのが当たり前だと思っていたうにが、もういないなんて不思議だ。

そしてついさっきお別れしてきたはずなのに、家に帰ってもまだうにがいるような気がする。うにの爪とぎ。トイレ、水飲み、お皿、たくさんのフード、それからうにが好んですっぽりと入っていたクッションの、うにタルト。うにが使っていた物は、全部そのままそこにあった。でも、うにの姿だけがない。

夕食を済ませてテレビの前のソファの上に寝そべる。いつもなら、うには窓辺のテーブルの上からこちらを見ていて、気が向いたら私のお腹の上に上ってくるはずだ。

待っていたけれど、やっぱりうには来ない。

すっかり夜も更け、肌寒いのでカーディガンを羽織った。

うにが寝ていたお腹の辺りにうにの毛がついているし、胸の辺りには、まだうにの匂いが残っているカーディガン。

うにがいなくなってしまっても、うにの記憶は家の中のあちこちに残っている。

お別れをしたつもりでもやっぱり、心が現実に追いつかない。

うにに会いたい。

 

最後まで、精いっぱい生きたうに