猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

つかの間の平和から一転、またしこりを発見

食欲がもどったうに

 

二度目の抗がん剤治療後、すっかり元気をなくしてしまったうに。

私は病院に対する不信感を抱くようになり、かかりつけのテシエ先生の診察を受けさせることにした。すると、やはり抗がん剤の副作用ということだった。抗がん剤をきっかけに拒食症になってしまうネコも結構いるらしい。コルチゾンの注射と投薬で、うにの食欲は回復した。

先生は、これまでの2回の抗がん剤治療の間隔が3週間しかなかったことを心配して、知り合いの癌専門医を紹介してくださるという。ただ、そこでセカンドオピニオンを受けるためには、これまでの治療の記録が必要になる。そこで病院に連絡し、診断書をメールで送ってもらうと同時に、病院の獣医さんとも相談して、しばらく抗がん剤治療は中止することになった。

そして、テシエ先生が夏休みから戻るのを待って、改めて9月の初めにうにの身体の検査をして今後の治療を検討することになった。これで経過がいいようなら、10月ぐらいまでは病院に行かなくて済みそうだった。

注射の効果はてきめんで、うには病気の前のように食欲旺盛になった。それから3日間ほどはしっかり食べられたので、たいぶ元気になったようにも見えた。4日目からは食欲が減退してきたものの、一定量は食べられていたので、私もほっとした。

「もう、病院に行かなくてもいいんだよ。おうちでゆっくりしてね。」

病気の前よりだいぶ活動量は減ってしまったけれど、私ももうあれこれと気を揉むのはやめて、うにをのんびり過ごさせてあげたいと思うようになった。セカンドオピニオンについても、また知らない所へ連れて行ってうににストレスを与えるぐらいなら、しばらく保留にしたほうがいいと考え、当面は見送ることにした。

あとはこのまま、癌がおとなしくしていてくれたらいい。

うにの食が細くなってしまっても、うちで休んでいればある程度体力は回復して、このままの状態を保てるかもしれない。食欲がある程度落ち着いたおかげで、私も気持ちの余裕を取り戻しつつあった。

 

ほっと一息ついて

 

その頃、娘もテレワークでのインターンを終えて家にしばらく帰ってきていた。思えば、新型コロナウイルスによるロックダウン、都市間の移動禁止になってから、娘と会える機会も少なくなっていた。パリにいるより、大学のあるヴァランシエンヌにいた方が環境もいいし、安全だとわかっていたので、無理にこちらに帰って来なくていいよと言ったものの、私はやっぱり寂しかった。移動禁止の直前にパリ市民がこぞって地方へと脱出したり、学生が実家に帰ったりする様子をテレビで見て皮肉っていたけれど、自由に移動できないのは心理的に圧迫感がある。近所への外出も自粛するなど、生活のいろんなことが不便になったし、ルールを守らず自分勝手な人たちを目にしてイライラしたりもした。あれこれでストレスが溜まっていたと思う。さらにうにの病気がわかってからは、それが最大のストレスだという自覚は常にあった。それにしても、今年の初めには想像もしていなかったこの「コロナ禍」。2020年はずっと記憶に残る年になるだろう。

それでも、娘が来てからうちの中が賑やかになり、一緒に買い物や食事に出かけて久しぶりに楽しい気分になれた。仕事も数日間休みを取り、ゆったりと家族の時間を過ごすことができた。気分転換して緊張感がほぐれたおかげか、うにの病気への不安からも少し解放された。娘は若者らしくおおらかで楽観的だった。「今はとりあえず、うにが苦しんでいないのだから、ママがそんなに心配しても仕方がないよ。」と、彼女らしい言い方で私を励ましてくれた。

「それもそうだよな。」と私も当面、のんびりすることにした。この夏は幸い猛暑も長続きせず、うにはソファやクッションで気持ちよさそうに昼寝をしていた。黄色いタルト型のクッションにぴっちりと身体を収めて寝ているうにの頭を触ると、目を閉じたまま身体をくねくねさせる。白い喉に縦一直線の手術の跡が痛々しいが、本人は気にしてないらしい。

「ネコが入ったネコタルト」「うにちゃんが入ったうにタルト」

「うにが入ったタルトがほんとにあったら、しょっぱくておいしそうじゃないけどねー。」

「お菓子にうには入れないよねー。」と娘も面白がる。

注射の効果も数日しか保たなかったらしく、相変わらず食べる量は病気になる前の8割に少し足りないぐらいだ。それでもまだ心配になるほどではなかった。朝夕は規則正しく台所に来てごはんを催促し、以前のようにカリカリを食べている。食べたら水もきちんと飲んで、トイレの回数も普段と変わらない。

 

またもしこりを発見

 

気付いたら、もう8月も後半になろうとしていた。世間では行き先が制限されるとはいえ、今年もたくさんの人達がバカンスに出かけているようだった。南フランスが人気で、テレビでも海岸やキャンプ地の様子が取り上げられていた。また、同僚で勇気のある人は、イタリアやスペインなど、春に多くの感染者や死者が出た国に出かけていたが、人が少ない分かえって楽しんできたらしい。そういえば、去年の今頃は、私も娘とトリノやミラノに行っていたんだった。

それなのに今年はどうだろう。

夫と6月に予定していた夏休みも9月末に延期したが、いつもなら行き先を決め、色々計画してワクワクするはずなのに、今年はどこに行くかさえ、全くアイデアが浮かんでこない。そもそもどこかに行けるかどうかさえわからない。9月に入ったら、そろそろ計画を立てなければならないと思いながら、やっぱりうにの病状次第だとすると、そこで思考がストップしてしまう。

漠然と感じ始めた不安が的中したように、もうすぐ娘もヴァランシエンヌに戻るという頃、またうにの食欲が落ち始めた。またほんの少ししか食べられなくなってしまったうに。9月の初めにテシエ先生がバカンスから帰ってくるまでは、落ち着いていて欲しいと思っていたが、何をあげても食べようとしないうにを見ていると怖くてたまらなくなった。

「このままうにが弱っていったらどうしよう?」

そんな時、うにの喉の辺りに、またしても米粒大のしこりがあるのを発見して愕然とする。

米粒は喉に埋め込まれたかのように固く、皮膚の下の肉にがっちりと食い込んでいるように見える。

二度の手術、12回以上の放射線治療、二度の抗がん剤...。これだけやってもまたあっという間に増えてくる癌細胞。何て恐ろしい病気なんだろうと背筋が寒くなる。

また手術? これまでの治療を最初からやり直すの?

目の前が真っ暗になってしまったような気がした。

とにかく、また元気をなくしたうにをこのままにしておくことはできない。テシエ先生がバカンスの間、もう一人の先生がいらっしゃるはずだ、と思い出して診療所に電話し診察の予約を取った。

 

ごちゃごちゃのタンスが大好きだったうに