猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

放射線治療の始まり

治療を受けさせる決断をして

 

大きな病院での検査の結果、放射線治療抗がん剤療法を勧められたものの、その場では決断できなかったので帰宅してもう一度考えることにした。

とはいえ、すでに私の中では、このまま何もしないという選択肢はなかった。

うには手術を受けて元気を取り戻したように見えたので、もしかしたら完治するかもしれないと期待していたが、今日の病院での説明から、そんなに簡単な病状ではないことが改めてわかった。癌が小さいうちに発見できたとはいえ、増殖のスピードは速く、悪性度も高い。

手術で目に見える癌を切除しても、ほぼ確実に再発してしまうだろうという診立てはなんとも残酷だ。手術だけでは不十分で、できるだけ早く放射線なり抗がん剤なりで叩いておかなければまた癌が広がっていく。

なんて厄介な病気にかかってしまったんだろう。スキャンの画像で見るうにの身体はきれいで、血液検査の結果だって悪くはない。この癌さえなければ、これからもっともっと長生きできそうなのに。本当に悔しくてたまらない。

これからまた通院が始まれば、うににとっても、私にとっても大変になりそうだ。まずは週3回、合計12回の放射線治療。その合間に3週間おきの化学療法が4回。今、私の仕事場は閉店していて再開のめどはたっていないから、さしあたり通うことはできそうだ。ただし時間とお金は思っていた以上にかかる。高速道路を使えば片道30分ほどの道のりも、三本のバスを乗り継いでいけば一時間半近くかかる。しかし治療費だけでも2000ユーロはゆうに越えそうなので、大変でも極力タクシーは使わないことにした。

経済的な面を考えてみても、不安が募ってくる。これまでも、日本への帰省とバカンスにかかる費用以外は極力ぜいたくを避け、老後の資金を貯めるように努めてきたが、家から離れて学生生活を送っている娘への仕送りもあと2年は続くし、今年から来年にかけてマンションの外壁工事も予定されている。しかもコロナで経済活動はストップ。私の会社も夫の会社も、社員の解雇はしないと言っているが、先行きは全く見えない。50歳を過ぎ、老後の備えもラストスパートに入っている自覚があったが、うにの治療費を含め、今年の出費は痛い。来年以降、会社の業績が戻って給料も現状維持してほしいが、とにかく先が読めない。まさか失業したりしないだろうな...。

何を考えても明るい材料がなく、気がめいってしまう。

それでもやっぱり…。うにを見殺しにはしたくないのだ。

夫は自分を田舎の人間だといい、自分の感覚では、正直なところ動物にそこまでの労力とお金をかけようとする気にはならないのだと言う。それでも私がやりたいというのなら、反対はしないそうだ。うにがうちに来てから二年。私がずっとねこかわいがりしてきたのだから、強硬に反対するには忍びないのだろう。

かかりつけの獣医さんから病院を紹介されてから、積極的治療を受けさせたいと思っていたけれど、諸事情を考え、ずっと迷いがあったのは確かだ。今日実際に診察を受けてみても、獣医さんは今何ができるかを教えてくれるだけで、やはり最終的に決断するのは飼い主なのだと思い知らされたような気がする。

とにかく治療を続けるにはいろいろな面で覚悟が必要になりそうなので、病院では最終的な結論を保留にしたが、考える時間を取りすぎては手遅れになり、せっかくの手術も無駄になってしまうかもしれない。やっぱりやるしかないんだ。翌日から早速放射線治療を受けさせる決心をする。

そうなると、治療の前日は夜からうには食事をすることができない。キャリーケースに入れられ、長い間バスに乗らなくてはならない。空腹に耐え、短時間とはいえ毎回麻酔をかけられる。かわいそうなうに。しばらく穏やかな暮らしはできなくなってしまうけれど、それと引き換えに、病気を退治できることを信じたい。

 

治療を始めて

 

放射線治療の初日は、予約の一時間半前に家を出た。うにはお腹を空かせて不満そうに鳴いていて、かわいそうに思う。3本のバスを乗り継いでいくが、二回の乗り換えは基本的に同じバス停なので助かる。三本目のバスは始発からなので確実に座れるが、途中で人がかなり乗り降りする駅をいくつか通り、なんだか風体の怪しい乗客も見かけるので、快適な移動とも言い難い感じだ。

ようやく病院の最寄りのバス停に着くと、そこからは歩いて7、8分の道のりだ。すでに予約の時間は迫っている。日差しはだいぶ強くなってきており、キャリーケースの重みが腕に堪える。右手、左手と交互に持ち替えながら、急ぎ足で歩き、病院に入ると他の人が待っていないことを確かめてから受付に行き、名前を告げてうにを看護師さんに預けた。コロナウイルス感染対策のため、建物に出入りするのも最低限の時間にとどめる。待合室は閉まっているし、トイレさえ使用禁止になっていた。うにはこれから麻酔をかけられ、放射線治療を受ける。照射の時間は短いものの、麻酔が覚めるまで観察してもらうので、1時間半ほどはかかるらしい。

その間待っている場所もないので、仕方なく外に出る。周りは郊外によくあるオフィスや倉庫が集まったような場所で、店など一軒もない。まあ、あったとしても今はロックダウンですべて閉まっているし。幸い天気がよくてぶらぶら歩くことができるが、これから雨が降ったらどこに行けばいいのだろう、と少々心配になった。しばらく行くと屋根のついたバス停のシェルターがあったので、そこのベンチに座る。仕事用の電話を持ってきたので、休業中の課題をやり始める。その間に、同僚から電話がかかってきて、課題についてしばらく話す。そうやって時間をつぶしている間に何本かバスが通るが、ほとんど人は乗っていない。通りを歩く人もほぼ見かけない。そもそも、私だってこの通院以外は、週に一度の食料品の買い出しぐらいしか外出しないのだから、みんな外に出ないのだろう。特にこの辺りはオフィスも多いので、出勤する人もいないのではないだろうか。

バス停のベンチで一時間ほど時間をつぶしてから、ゆっくり歩いて病院に戻る。建物の中で待つことはできないので、外にいるが、座る場所もないのでだんだん疲れてきた。それでもなかなかうには出てこない。携帯電話を見たり、音楽を聴いたりしながら待ち続け、結局うにが出てきたのは預けてから2時間以上経ってからだった。車で来ている飼い主さんたちは、車の中で待っているので座っていられるだけましかもしれないが、それでもみんなが外でじっと待っているというのは不思議な光景だった。こんなところにもコロナウイルスの影響が大きく出ているのだ。

ようやくうにを引き取って、元来た道を歩き、バスに乗り、家に帰りついたら7時半を過ぎていた。出かける前に夕食の支度をしておいてよかった。家を出たのは2時過ぎだったので、半日潰れたことになる。帰る道すがら、お腹を空かせて鳴くうにに、やっとご飯を食べさせてやれる。うにも私もかなり疲れた一日だった。明日はゆっくり休みたいとつくづく思った。これから週に三回の通院が4週間、その間ずっとこんな生活が続くのだ。なんだか最初からちょっと気が滅入ってしまいそうだが、やると決めたからには頑張って続けよう。

ベランダのプランターは、うにのお気に入り



 

大きな病院で診察を受ける

病院での診察

 

近所の獣医さんでの手術から約3週間、放射線治療のため紹介された病院に、初めてうにを連れて行った。夫は仕事が入ってしまったのに、半日休みを取り、車を出してくれた。

まだ人々の移動が活発ではないためか、高速道路は空いていて、30分もかからずに病院に到着した。

コロナウイルス感染予防のため、受付以外は建物内に立ち入ることができない。10時に予約していることを告げると、駐車場の車の中で待つように言われた。

それから待つこと1時間。忘れられたのではないかと心配になったころ、やっと獣医さんが来てくれた。

手術時の病理検査の結果から、やはり進行の速い、あまりたちのよくない癌であること、レントゲンでは身体の他の部位への転移はないようだが、CTを撮って再確認する必要があることを説明された。このような検査を受けられるよう前夜から食事は与えていないので、そのままうにを預け、夕方に迎えに来ることになった。

「予約時刻からこんなにずれるんじゃ、予約する意味がないよな」

夫のイライラはかなりのものだった。午前中ですべてが終わると思っていたのに、もう一度来なくてはならないなんて、と不満なようだ。私は内心、近所の獣医さんとは勝手が違うのだからかなり時間がかかるだろうと思っていた。でも、わざわざ半日休みを取って付き合ってくれた夫には申し訳なくて、黙っていた。

夕方、うにを迎えに行くため6時半ごろ病院に着くと、受付には誰もいなかった。入り口にはコロナウイルス感染予防の張り紙がものものしく掲げられ、待合室はもちろん建物の中に自由に入ることもできない。何度も電話してみるが誰も出ない。夫はまたイライラし始めて、「どうなってるんだ、ここは」と文句を言い始める。

しばらくして白衣を着た人が通りかかり、私たちに声をかけてくれた。その人に取り次いでもらい、さらに30分ほども待って、ようやく獣医さんがうにを連れてきてくれた。

CTで見るうにの全身はきれいだったが、手術した部位の近くに灰色の影がある。これは、手術箇所が炎症を起こしている可能性もあるので経過観察になる。癌の性質からいって、再発の可能性は高い。また転移の恐れもある。そこで放射線治療抗がん剤療法を勧められた。テシエ先生に聞いていた通り、放射線治療は全部で12回。週三回のペースで4週間通うことになる。そして抗がん剤療法は一回につき一泊二日、それを三週間ごとに行って、計四回。私の仕事が再開したら、うまく予定を組んでやりきることができるだろうか? それについて質問すると、朝は8時半から、夜は7時まで預かってくれるし、必要な場合は入院も可能とのこと。週三回の通院は大変そうだが、やってやれないことはないかもしれない。

もう一つの大きな懸念はやはり、費用だ。

見積もりを出してもらうと、放射線治療が12回で1300ユーロ。 化学療法が一回につき約300ユーロだそうだ。また、今日のCTだけで500ユーロかかっていた。

これは正直、とても痛い出費になる。コロナウイルスの影響で失業になる人が多い中、幸いいまのところ基本給はもらえているものの、私が勤める会社も厳しい状況であることには変わりない。これからどうなるか不透明なのに、これだけのお金が出て行ってしまうのはとても不安だ。

でも、これらの治療をしなければ、結局再発は避けられないというのがよくわかった。

放射線治療では患部にピンポイントで放射線を照射し、副作用も限定的らしいので、うににとってそれほど苦しいものではないように思われた。一方、化学療法は人間の場合、髪が抜けたり吐き気があったり、こわい副作用の話をよく聞くだけに、身体への負担が心配だ。それでも効果が副作用に勝るなら、やったほうがいいのかもしれないが、即断はできない。

放射線治療をするなら、明日の水曜から始められますよ」と獣医さんに言われて、私は「やります」と即答していた。だが、夫が難しい顔をしているのを見て、獣医さんは「一旦考えていただいて、明日から始めるのであれば、明日の朝お電話いただいてからでもいいですよ。」と言ってくれ、その場では何も決めずに帰宅することにした。

帰りの車の中で、うにはしばらく何かを訴えるように鳴いていた。昨夜から何も食べていないからお腹が空いているに違いない。そして急に鳴くのをやめ、踏ん張っていたかと思うと、コロコロのうんちをした。たちまち匂いが車内に充満する。大急ぎでキャリーケースを開け、出てきたうにを片手で抱いたまま、うんちをティッシュでつかみ取ってビニールで包んだ。

そんなアクシデントがあったせいか、車の中ではあまり話もせずに家に着いた。

 

これからの治療を決断して

 

夫は、「今回は偶然うにのしこりを見つけたけど、そうでなければ気づかずにいて、手遅れになっていたかもしれない。もしそうなっていたら、大した治療はできなかっただろう。どちらにしても、うにはもう年を取っているし、今治療をしたってあとどのぐらい寿命が延びるかわからない。そのために時間とお金をどれだけ費やせるのか、よく考えて結論を出したほうがいい。」と言う。

確かにその通りだ。

自分たちを含めて、どんな生き物にも寿命がある。それに抗って少しでも長生きさせようとするのは飼い主のエゴであり、愚かな行為なのかもしれない。それでもうにの病気を知ったとき、たったの2年しか一緒に暮らしていないのに、もう別れを覚悟しなければならないなんて残酷すぎると思った。長年一緒に暮らしていたら、もっとつらいのだろうけれど、やっぱり2年は短すぎる。いつの間にか、うにがうちにいてくれるのが当たり前になっていたし、うにが自分のペースで暮らせているように思えて嬉しかった。こんな生活がまだ何年かは続くんだと確信していたのに。うにの病気を知ってからすべてが変ってしまった。たった一か月前はなにも知らずにいたなんて、不思議な気がする。そして、それ以前のうにとの平和な生活がずっと昔のことのように感じられた。

これからのうにの治療で大切にしなければならないのはなんだろうか?

もちろん、治ってくれるのが一番いい。

でも、獣医さんたちの口ぶりからすると、完治は難しいのかもしれなかった。

かといって何もしないでいたら、たちまち再発した癌がうにを苦しめるだろう。

それはできるだけ避けたい。

今なら、まだやれることがある。

あとどのぐらいうにの余命を延ばせるかはわからないにしても、うにに苦しい思いをさせず、可能な限り普段通りの生活を送らせてあげたい。

やっぱり治療を受けさせよう。副作用のある化学療法は少し考えるにしても、放射線治療は明日からやってもらうことにしよう。

夫に私の考えを伝えると、反対はされなかった。

彼にも迷惑をかけてしまうかもしれないけど、私が頑張れるだけやってみようと思った。

 

朝はお腹を空かせて、ご飯を待ちかねるうに

 

放射線治療とこれからについて悩む

放射線治療をどうする?

 

放射線治療を受けられる病院を地図で調べてみると、高速道路を使っても、うちから車で30分ほどかかることがわかった。バスであれば3本乗り継いで1時間はかかる。治療は12回で1クールだと聞いた。今は仕事をしていないので頑張れば通えそうだが、ロックダウンが解除され、仕事が再開したらとても大変になりそうだ。逆にいえば仕事が始まらないうちに、回数を稼いでおいたほうがいいのかもしれない。再発防止のためには、始めるなら早いほうがいいと獣医さんからもアドバイスを受けていた。

費用についてはどうか。

これは実際に聞いてみないと見当もつかない。一回につき1万円ぐらいはかかるのではないだろうか。だとしたら、正直かなり痛い出費だ。でもだからといって放射線治療をしなかったら、癌はすぐに再発して、手術でうにの身体に負担をかけた意味がなくなってしまう。

もしうにの癌が手遅れな状態で発見されていれば、治療の選択肢はとても限られたものになっていただろう。治療というより、苦痛を和らげるための対症療法しかできず、それも本当に効果があるのかどうかわからない。結局はうにが弱っていくのをただ見ているしかなくなっていたと思うし、それはとてもつらいに違いない。うまく完治するかはわからないけれど、今ならまだ試すべき治療法があるし、幸いなことに、うには病気の痛みを感じていないようだ。時間や費用などの負担は大きいが、やはりこのまま放置することはできない。できることはやってあげたいと思う。

手術から順調に回復し、癌の宣告がうそのように元気なうに。

今のうににとって、何をしてあげるのが一番いいのだろう。

本人と話し合って決めることができないのは口惜しいが、うにの立場になって考え、決めてあげたい。うにが痛みや苦しさをできるだけ感じずに、快適に生活できる日が一日でも長く続くようにしてあげたい。動物たちは、今この時を精いっぱい生きているという。辛さを我慢してでも無理に寿命を延ばすような治療を、うには望んでいないに違いない。獣医さんに自分の意思を伝えることができないうにに代わって、私がうにの後見人になろうと思った。

今考えられる治療は放射線治療だというが、効果と副作用はどれほどあるのだろうか。治療のメリットとデメリットを比べてみないと、本当にやる価値があるかどうかわからない。うにが苦しい目にあうだけなら、やらないほうがいいのかもしれない。ただ、その結果癌が再発してしまったら…。その時は、うにの寿命も尽きてしまうのだろうか? 考えたくもないけれど、やはりいざという時の心構えをしておく必要のある病気なのだと思い知らされたような気がした。

 

病院の予約を取る

 

癌の宣告を受けてからずっと色々な可能性を想像してみるものの、今の段階では治療についての情報が少ないので、だんだん私の考えも堂々巡りになってきていることに気づいた。

やはり、紹介された病院に連れていき、今のうにの状態と治療法について、しっかり話を聞いて来なくてはいけない。そのうえで、放射線治療を受けるべきかどうか決断することにしよう。

そこで予約をとるべく、病院に電話するがなかなかつながらない。3度ほどかけてみるが、お待ちくださいというメッセージの後、延々と音楽が流れるだけで、一向に誰かが出てくる気配がない。

翌日の朝もかけて、やっと受付につながった。

かかりつけの獣医さんで撮ったレントゲンと、いただいてきた紹介状をメールで送り、診察は翌週の初めに受けることになった。

幸い夫の仕事は休みの日で、車で連れて行ってもらえそうだ。ただ、これからもし通うようになれば、車を持たない私が連れていくことになるので、交通手段はきちんと調べておかなければならない。タクシーや配車サービスを毎回利用できれば便利だが、費用がかかり過ぎるのでできる限りバスを利用したい。その頃コロナウイルスによる外出禁止は緩和されつつあり、公共交通手段も本数が増えてきていたのは心強かった。

一方、自分の仕事がいつ再開になるかは依然として不透明だった。まもなく手術から3週間が経とうとしていて、気づいたらもう5月になっていた。毎日家にいると曜日の感覚があいまいになっていき、一日が長いような、短いような変な感じがする。それでも時は確実に過ぎた。特にうにの手術からは、あっという間に4月が終わったような気がする。5月の11日からは生活必需品以外の商店も営業を始めると聞いたが、私の勤務先が入っているデパートはどうなるのだろう。営業を再開後、しばらくの間は感染予防のため、スタッフは2つのチームに分かれる。そしてお互いのチームと接触しないために、交互に出勤する。だから当面は、一日置きの勤務になるという説明は受けていたものの、これだけ長時間仕事をしていなかったのだから、体力的にも精神的にも以前のペースを取り戻すには相当の時間がかかると思われた。

仕事と家のこと、そしてうにの通院。すべての段取りをつけてうまくやっていけるのか、不安が大きくなってきた。やってもみないのに悪いほうに考えてしまうのは、私の悪い癖だ。わかってはいるけれど、自分の気持ちを落ち着かせることができない。

とにかくすべては、来週の診察を受けてからだ...。

自分に言い聞かせた。

 

何だかやけに人間っぽいうに

 

癌の宣告

うにの抜糸

 

手術からちょうど二週間が過ぎて、抜糸をする日になった。

その間、私は相変わらず仕事も休みで、ゆっくり時間をかけて料理や家の片づけをしながらうにの回復を見守ることができた。術後一週間で抗生物質をやめてから便も正常に戻ってきたので、トイレ後にエリザベスカラーを汚すこともほとんどなくなった。ほぼ普段通りの生活になり、私もうにに干渉しすぎないように努めた。うにが大嫌いなエリザベスカラーは抜糸の前日に外してやったのだが、外すなりものすごい勢いで傷の辺りを掻きむしったのでハラハラした。痒くてたまらなかったのか、かなり長い間掻いていて、バラバラと床に抜け毛が落ちる。手術から2週間も経っていれば、まさか傷口が開くことはないだろうが、傷の周辺がうっすらと赤くなったので少し心配になった。

診療所ではコロナウイルス感染防止のため、相変わらず建物の中に入ることはできなかった。入り口でテシエ先生にうにを預ける。

「まず抜糸をしてから、お話があります。」という先生の口調はいつもと違ってやけに淡々としていて、なんだかちょっとよそよそしい。瞬時に病理検査の結果が悪かったんだと察した。手術からずっと気になっていたものの、うにの順調な回復ぶりもあり、病名のことはできるだけ考えないようにしてきたのだった。とたんに胸のドキドキが止まらなくなった。

それからうにの抜糸が終わるまでの数分間はとても長く感じた。近くにいた夫が携帯電話で動画を見ながら私に何か話しかけてくるが、全く耳に入ってこない。どうして今頃のんきに動画なんか見ていられるのか。腹立たしくさえ思われるが、夫は人の表情を読み取るのが苦手なので、テシエ先生の様子の変化を感じなかったのだろう。

 

唾液腺の癌が判明

 

抜糸の後、前回の診察と同じように、先生とは診察室の窓越しに電話で話をする。

しこりはやはり癌であったこと。再発しやすくかなりたちの悪いものであること。手術は難しい場所であったため、癌細胞が残っているかもしれないこと。

病状についての説明は、聞くのが辛いことばかりだった。

これからうにはどうなってしまうんだろう。

うにがうちに来て2年。あっという間だった。この2年あまりにも早く時間が経ちすぎて、なんだか夢のようだった。

あとどのぐらいうにと一緒に暮らせるのだろう。

余命、なんて考えたくもないが癌という言葉は重すぎる。

なにより、うにがいなくなってしまうかもしれないなんて、考えられない。

うにに初めて会ったとき、推定8歳と聞いて正直なところ結構トシを取ってるな、と思ったものだ。でもうちに馴染んでくるにつれて、うにがこれまで大変な暮らしを経てこの年齢まで生き抜いてきたなら、これからはうちでゆっくりして長生きしてもらいたいと考えるようになった。そしてそのために、トイレやエサ、水などの生活環境について自分なりに勉強し、整えてきたつもりだった。だけど、そんな微々たる努力だけでは到底敵わない病気にかかってしまった。

最近は飼育環境が良くなり、長生きなネコの話もよく聞く。うにだってだんだん歳をとって身体が弱っていっても、大きな病気にはかからずにいてほしい…。でもそれは、都合のいい願いだったのだと思い知らされた。

「全身のレントゲンからは、今のところ転移はないようですし、リンパ節の腫れもみられません。ただ再発しやすい癌なので安心はできません。」

「今後癌の再発を抑えるため、放射線治療をしたほうがいいですが、できる施設は限られているので希望されるなら紹介状を書きます。」

「そちらで診察を受けてどうするか検討してみてください。ただやるなら早いほうがいいです。できるだけポジティブに考えましょう。でも決して軽く考えられる状況でもありませんよ。これからも経過を知らせてください。」

いつも親身になって診察してくださるテシエ先生の言葉には一つ一つ重みがあった。客観的な話し方でありながら、私たちを励まそうとされているのが感じられた。これまで診てきた動物に重い病気を宣告するのは、先生にとっても辛いだろうなと察せられた。

 

これからの治療の選択を迫られて

 

帰りの車内ではほとんど会話もなく、あっという間に家に着いた。何も知らないうにだけが、キャリーケースから出られて嬉しそうだった。

夫はやはり、放射線治療に伴う時間や金銭の負担を心配してくれた。全部で12回の治療をするため毎回遠い施設に通わなければならず、時間もかかるし費用だってかなりかかる。飼い主によっては無理だと判断し、治療をしない人もいるだろう。でもしないと決めたからといって、その飼い主を責めることはできない。治療は動物にとっては苦痛が大きいだろうし、それを見守る飼い主にとってもつらいことが多いだろうと思う。それと引き換えに、治療の効果が保障されるわけでもないのがさらに難しいところだ。また、人間の生活が経済的に逼迫すれば、動物を養うこともできなくなってしまう。

さあ、私はどうしたらいいのだろう。

ここはしっかりと考えなければならない。

ただ、いつまでも結論を先延ばしにすることもできない。その間にも病気は再発し、進行してしまうかもしれないからだ。

治療を受けさせるなら、早くしないといけないのだ。

それでも今日いっぱいは、しっかり考えよう。

そしてうにの身になって、決断しよう...。 そう思った。

 

嫌いなエリザベスカラーとも、やっとお別れ

 

抜糸までの様子

食欲が戻った!

 

手術の翌日に初めての食事を与えたとき、食欲はあるのに、柔らかいパテ状のエサでさえ食べ辛そうにしているうにの姿は痛々しかった。

手術は顎の右下と口内の二か所から切ったといい、口内の縫合部は自然に溶ける糸なので抜糸の必要はないそうだ。そして口の中は傷の治りも速いとのこと。それでも口を開けにくそうにしていて、当然痛みもあるはずだ。手術はどうしても必要だったとはいえ、うにがかわいそうでならない。

相変わらずエリザベスカラーも気に入らないようだ。身体の動きは徐々にスムーズになってきたが、椅子の脚にぶつかっては後ずさりすることを繰り返している。それでも手術から3日目には、窓辺の見張り台があるテーブルに登り、水を飲むようになった。時間が経つにつれて、少しずつだが確実に元気になってきているように見える。

それなのに、パテ状の食事を始めて一日ほどたつと、だんだん食べなくなってきた。手術当日からお腹は空いていたはずなのにおかしい。確かにうには以前からカリカリが好きで、他のタイプのエサだと食が進まない。かといっていつものカリカリでは固すぎてうまく食べられないのではないか? そこで普段より粒が小さく薄いものを買ってきて恐る恐る与えてみると、ガツガツとすごい勢いで食べ始めた。手術の傷など全く気にしていないと思えるほどの食欲を見て、私はとても嬉しくなった。手術の傷はまだ生生しく、皮膚に黒く固まった血がこびりついていて、見るたび気の毒になるぐらいだが、それでもうには食べている。皿はあっという間に空っぽになった。

これならきっと、うには大丈夫。

病気を発見する前、毎日ほんの少しだけエサを食べ残すようになったうに。私は漠然とした不安を感じていたのに、日々やり過ごしていたことが思い出される。もし、うにと話ができたなら、どこがおかしいのか聞いてあげられたのに。いや、うにのほうではいつもと違うというサインを発していたのに、私が感じ取ってあげられなかっただけなんだろう。ネコと人間。一緒に暮らしていても分かり合えない難しさがある。でもそれは人間同士だって同じだ。ともに過ごした時間の長さにかかわりなく、私たちそれぞれ、自分は自分。自分と他者のあいだには越えられない垣根があって、結局のところは孤独なのかもしれない。それでも長い間を過ごし、たくさんの出来事を共有し寄り添ってきてくれた家族は、私にとってとても大切なものだ。そしてうにも今、私の家族の一員なんだ。

 

少しずつ元気になってきたうに

 

しっかり食べることで体力が回復してきているのか、日中は長い間丸くなって眠っているものの、うにの活動量は少しずつ増えてきた。私たちが食事をしていると、自分もごはんが欲しいとアピールしたり、満腹になると撫でてくれと鳴いたりした。それとともに私の近くで不安げにうずくまっていることも減り、自分の好きな場所で過ごす時間が長くなってきた。私にしてみればちょっと寂しいが、これも回復の過程だと思えば喜ぶべきかもしれない。

本来うには人に媚びないマイペースなネコであり、気が向かなければ呼んでもまるっきり無視するのがあたりまえの姿なのだ。夕方仕事から帰宅すると出迎えてくれるのは、おもにエサのためであって、ひとしきり食事に満足するとどこかに行ったきりすっかり気配を消してしまう。名前を呼んで探しても出てこない。うにを見つけるのはあきらめて、テレビでも見ようと居間の電気をつけ、ソファに横になって初めて、目の前のローテーブルの下で寝そべっているうにに気づく…。なんてことは日常茶飯事だった。そのくせ、ちょっと人恋しくなると、こちらをしばらくじっと見つめてからおもむろに寄ってきて、ひらりと私の膝に飛び乗ってくる。頭や喉を撫でてやるとだんだん軟体動物のようにだらーんと脱力して、しまいにはすうすう寝息を立てて眠り込んでしまう。そんなうにの身体の温かさと重みを感じながら、ソファで過ごす一日の終わりは最高の時間だ。夜も更けてきて、このひとときが終わってしまうのがもったいなくてたまらなかった。お風呂に入って床についてしまえば明日になり、またうにと離れて仕事に行かなければならないのだから。

それに明日もうにが膝に乗ってきてくれるという保証はない。窓辺のテーブルの、うにの見張り台から動こうとせず、抱き上げて連れてきてもあっという間に走り去られてしまう日が多いからだ。なにがなんでも人の言うなりにはなりたくないらしい。つまり、私としては、うにが自分の意志で乗ってきてくれるのを待つしかないのだった。

「今日は膝のりサービスはしてくれないの? ごはん代出してあげてるのに冷たいなあ。」

お気に入りの毛布の上で寝ているうにに愚痴をこぼすと、薄目を開けて上目遣いに私をちらりと見るけれど、

「ああ、またこの人かー。」

とでも言いたそうにまた目を閉じてしまう。

つまり、ネコというものは人の言うことは聞かないし、人の思い通りにもならない動物なんだろう。かといって薄情なわけでもなく、要所要所でアピールして、なかなかの甘え上手でもある。だから結局、人はネコの魅力に取りつかれてお世話をしてしまうのだろう。

 

自分のペースを取り戻して

 

手術から時間が経つにつれ、うには日々確実に元気を取り戻しつつあった。その様子にほっとする一方で、こちらは心身の疲れを感じていた。

うにが心配であると同時に、床に敷いたマットレスは寝心地が悪くてどうしてもよく眠れない。そこで、手術から4日目の夜から、自分のベッドに戻って寝ることにした。それでもやはりうにが気にかかり、いつもは閉めている寝室のドアを開けておいたら、スッと入ってきてベッドの私の足元あたりに飛び乗って横になった。夜中や明け方に騒いだりしたら、夫に文句を言われてしまうだろうなと心配したが、翌朝までとてもおとなしくしていた。早起きの彼が起きだすと台所について行って朝ごはんを要求し、食べ終わるとまた寝室に戻ってきて、二番寝している私の足元で眠っていた。

その次の日の夜はドアを閉めて寝ようとしたら、ガリガリとドアを引っかいて抗議されたので、再びベッドで一緒に眠ることになった。そんなことが何日続くのかと思っていたが、数日後には居間のいつもの寝場所に戻って寝るようになったうに。元気になってきて、自分のペースに戻りつつあるのだろう。もっと頼ってきてくれてもいいのに、と少々残念な気もしたが、日常の生活を取り戻すのが一番だから、これでよかったんだと思うことにした。

食事もおいしそうにしっかり食べて、うにの体調は日に日に良くなっていくようだった。夕方になると走り回ったり、ボールやカーテンの端を捕まえようとしたりと、活発な姿も見られるようになった。2年前初めてうちに来た当初はトイレの後にダッシュしていたし、真夜中にドタバタと走り回って独り運動会をしていたものだが、そのころに戻ったかのような元気さだった。手術から一週間目には獣医さんに診察を受け、経過も順調でその次の週に抜糸をすることになった。手術で切り取ったしこりの病理検査の結果はまだ出ておらず、不安はあったものの、元気で若返ったようにさえ見えるうにと毎日を過ごしているうち、悲観的な考えは薄れていった。

 

手術から一週間、クッションで遊ぶうに

 

手術の翌日

食欲が戻ってきたうに

 

手術当日の夜から、食欲は少しずつ出てきていたようだが、口の中の傷への影響を考えて食事は与えずにいた。

翌朝になると、お腹が空いて、鳴いてご飯を催促するほどになったので、パテ状のエサを少しずつあげてみることにした。普段は固形のカリカリを好み、他はあまり食べてくれないうに。それでも、さすがに食欲には勝てないのかかなりな勢いで食べ始めた。ただ、慣れないエリザベスカラーが邪魔して、思うようにお皿から食べられない。カラーの下の部分に盛大にパテをくっつけていたので、頭を少し下げてやりカラーがお皿に入らないようにすると、多少スムーズに食べられるようになった。

エリザベスカラー対策として、トイレにつけていた屋根も外した。用を足すところが丸見えでデリカシーのかけらもなく、申し訳ないなあ、と思ったのだが、うにはあまり抵抗を感じなかったようだ。ただ、ほぼ普段通りにトイレに行けるのはいいが、便に砂をかけようとして前かがみになり、カラーが排泄物で汚れてしまうのが難点だ。抗生物質や抗炎症剤を服用しているせいで便が緩くなり、余計にくっつきやすくなるのだ。それからはうにがトイレに行く気配を見せるなり、横に張り付いていて、用を足したら間髪入れずにうんちを取り除くようにした。いきなり過保護になった私を見て、うにも最初はちょっと変な顔をしたが、この新しい習慣にすぐ慣れてくれた。

手術翌日のうには前日に比べると多少元気が出てきたようだが、昼間は誰もいない私たちのベッドでずっと眠っていた。それでも午後になり空腹になると、台所に来てエサを催促した。一缶の半分ほどのパテを、レンジで人肌に温めてやると、おいしそうに食べる。食欲は旺盛なので、多少安心した。

食後は私たちと一緒に居間に移動するが、相変わらずエリザベスカラーのせいで身体感覚がつかめないようで、カラーをあちこちにぶつけながら不器用に歩く。いつもは障害物があってもしなやかに身をかわして歩いたり走ったりするのに、いやいやをするように首をふりながら、よちよちと後ずさりする姿が、かわいそうだが面白い。私たちがテレビの前のソファに座ると、その足元にうずくまってじっとしていた。ジャンプする自信がないらしく、お気に入りの毛布がある窓際のテーブルの上には登ろうとしない。

 

猫の病気を察知する難しさ

 

まだ傷口が痛むのだろうか? こんなとき、うにに体調を聞けないのがなんとももどかしい。元来ネコは野生動物の本能から、体調が悪い素振りを見せたがらないという。だから飼い主がよく観察して、少しの変調にも気づいてあげなくてはいけないのだが、それはとても難しいと思う。うには我が家にきた初めてのネコであり、一緒に生活してみて初めてわかることがたくさんあった。自分はネコ飼育の初心者だという自覚はあったので、心配事があればすぐに獣医さんに相談するようにしてきた。そして幸いなことに、これまでそのほとんどが重大な問題にはつながらなかった。少し食欲が落ちたときはエサに飽きただけだったし、尿が少ないと心配したときは、私が知らない間にベランダのプランターで用を足していただけだったからだ。

そんなふうに、今回も取り越し苦労だったね、と笑い話にできたらよかったのに…。

あの時偶然、夫が気づかなければ、私はしこりがもっと大きくなるまで知らずにいたに違いない。毎日うにを撫でていても、全く異変を感じなかった。

ただ…。

最近ほんのわずかなうにの変化、なんともいえない違和感を感じていたのも確かだった。

以前はガツガツとエサを食べ、早食い対策を考えなければならないほどだったうにが、微妙に食べ残すようになり、ここ数か月で体重が200グラム減ったのだ。太りすぎを警戒してカロリー控えめのエサに変えてしばらく経っていたから、その効果が出てきたのだと思っていたが、毎日数グラムの食べ残しは身体の異常の始まりだったのだろうか?

しかし2か月前に予防接種がてら健康診断を行った際、これといった異常は見られず血液検査の結果も良好だったため、気になりつつもやり過ごしてしまっていた。というより、漠然とした不安を抱きつつもそれが何かわからないまま日々を過ごしてきたのが、今にして「そういえばあの時…。」と思い当たったというのが正確なところだ。

一見些細なことに思われても普段とは何かが違う、そんな感覚はやっぱり大切なんだな、と実感した。でも今回はそんな気付きを掬い上げて病気の発見につなげることはできなかった。では、何をどうすればよかったんだろうか。答えは今でも見つからない。

 

私のそばを離れないうに

 

その日の夜も、うにと一緒に寝ることにした。私が布団に入ると、うにもついてきて布団に上がり、私の足のあたりで丸くなった。

うには保護ネコだったので、この年齢になるまでどんな生活をしてきたのかは誰にもわからない。そもそも推定10歳、というだけで正確な年齢すらわからないのだ。歯の一部分が欠けていたり、耳にいくつも引っかき傷や歯型のような跡が残っていたりするので、過酷な環境でたくましく生きていた時期もあるのだろうと思う。それだけに、どこかクールというか、人を寄せ付けないところがある。気が向かないと膝に乗ってこないどころかこちらに近寄りもしないし、自分が心地よい場所を見つけるとずっとそこで寝ていて、呼んでも反応しない。だから、これまで夜うにと一緒に寝ることはあまりなかった。ところが昨夜からは、音もたてずに私についてきてそばを離れようとしない。自分の病気や手術をどう理解しているかはわからないが、おそらく不安なのだろう。人間の年齢でいえば、私と同年代のうに。私にとっては子供と妹の中間のような存在であるだけに、うにがとてもかわいそうに思われる。私はうにの不安な気持ちに応えてあげられているのかどうか。何もしてあげられない自分に無力感を感じる。ただ、今はコロナウイルスのために外出禁止が続いており、ずっと一緒にいてあげることはできる。それだけが不幸中の幸いであるように思った。

 

エリザベスカラーは、うににとっておそらく初めての経験

 

いよいよ手術

手術を受けたうに

 

うにの手術の前日は、なんだか自分のことのようで落ち着かず、よく眠れなかった。

寝不足で頭がぼおっとするのだが、再び眠ることもできずに起きてくると、お腹を空かせたうにのアピールがすごい。昨夜から何も食べていないのだから当然だ。いつもなら、にゃあにゃあ騒げばご飯がもらえるのに、今日はちょっと様子が違うな?と戸惑った様子だ。 しばらく鳴いても食べ物が出てくる気配がないので、玄関横の靴箱に飛び乗って、今度は目線で訴えるうに。そんなにうらめしそうに見つめられてもダメなんだよ、ごめんね…。自分の訴えが受け入れないと見ると、うには窓際のテーブルの上のお気に入りの毛布に移動して、ふて寝を始めてしまった。せっかくウトウトしかけているところを起こされて、キャリーケースに入れられたうには、とてもかわいそうだった…。

今日は夫が車で送迎してくれることになり、獣医さんにはあっという間に到着。手術は午前中に行われるため、昼過ぎに連絡するようにと指示を受け、いったん帰宅した。

「今頃うにはどうしてるかな…。」

悪いところは早く取ってもらった方がいいのはわかっているけれど、手術はやっぱりこわいし、うにが苦しい思いをするのはとにかくかわいそうだ。何も手につかないし、時間がなかなか経ってくれない。やっとお昼になり、早速獣医さんに電話した。

「手術は無事に終わりましたが、開けてみたら大きな血管に近く、思ったよりも時間がかかりました。」

結局、顔の側と口内の二か所から切って腫瘍を取り出したが、デリケートな場所で、大変な手術になってしまったようだ。

「麻酔をしっかりかけましたから、経過を観察して夕方までは預かります。」

ということで、5時過ぎに迎えに行くことになった。ところが、それから1時間ほどして再度連絡があり、

「手術中に血液を飲み込んでしまっていたようで、それを吐き出しました。また出血するといけないので、様子をみます。今日退院できるかどうか、4時ごろにまた連絡をください。」とのこと。

うにちゃんは大丈夫なのか。

午後もまた、とても長かった。ともすれば悪いほうに考えてしまうので、休業中の会社から出されている課題に取り組むことにする。集中するのに苦労するが、なんとか約束の時間まで作業し、どうにか時間をやり過ごす。

「もう出血はしていませんから、迎えに来て大丈夫ですよ。」

早くうにの顔が見たい。いてもたってもいられない気持ちで診療所に向かう。

先刻電話で聞いたとおり、手術は予想以上に複雑で時間がかかったそうだ。切り取られたものが何なのかとても気になるが、検査機関に送って結果を待つことになった。ただ、獣医さんによれば、単なる膿の塊ではないらしい。結果が判明するまでは、また不安な時間を過ごすことになりそうだった。

それでも今は、とにかくうにに再会できたことが嬉しい。

術後の注意事項、投薬や食事などについて話を聞く。痛み止めは4日間、抗生物質は8日間、食事は柔らかいパテ状のものから始める。エリザベスカラーのせいで、歩行がぎこちなくなるが心配はない。今夜は様子を観察して、出血などがあれば緊急連絡先に電話すること。今夜は寝ずの番になろうとも、うにのそばにいようと決心する。

 

いつもと違ううに

 

帰宅してキャリーケースを開けても、なかなか出てこようとしないうに。いつもとは違う様子にこちらも戸惑うが、しばらくはそっとしておくことにした。やがて、そろそろと用心深く後退しながら出てきて、ゆっくりと歩き、居間の絨毯の上にうずくまるようにして座った。ちょっとふらついて見えるのは、まだ麻酔薬の効果が残っているためだろうか。

うにの様子を気遣いながらも、夕食の準備に取り掛かるため台所に立つ。ふと振り返ると、うにがダイニングテーブルの下にうずくまって、私を見上げていた。それから立ち上がって、窓辺に行こうとするのだが、エリザベスカラーがテーブルの脚にぶつかってしまって思うように動けない。そのたびにビックリした様子で後ずさりしては、頼りない足取りで歩き、ようやく外が見えるところまで行くと、そこに座り込んだ。いつもよりずっと動作がのろい。どこかがひどく痛むんだろうかと心配になった。でも、明日までに必要な薬はすでに与えてあるそうなので、今は静かな環境で休んでもらうしかないのだろう。

夕食後にテレビでも見ようと居間に移動すると、うにもついてきて、絨毯の上に座る。しばらくすると、慎重な動きでソファの上に飛び乗り、私の隣に座った。エリザベスカラー越しに手術の傷が見えるが、黒ずんだ血がこびりついていて痛々しい。それでも、傷や口内からの出血はなさそうだったので、少し安心する。うにの身体からは、かすかに消毒液のにおいがした。今日は本当に長い一日だったね。背中をそっと撫でると、喉をゴロゴロと鳴らすが、身体はちょっとくたっとしていてさすがに疲れているようだった。

 

術後のうにを見守った夜

 

その夜は居間のソファで寝ようかとも思ったが、結局娘の部屋のマットレスで寝ることにする。布団を準備し、お風呂に入る前にトイレに行くと、うにはドアの前で待っていた。普段はしない行動なので戸惑う。お風呂から出ると、今度はバスルームのドアの前で待っていて、私が出てくるとついてきた。声は発せずに、少し歩いては座る。それはまるで、体力を温存しようとしているようにも見えた。

床に就くとき、うにがいつも使っているクッションと毛布を私の布団の横に置き、うにを連れてきたのだが、すぐに私の布団の足元に乗ってきて、そこで丸くなった。

私も寝ようとしたが、ウトウトとはするものの何度も目が覚めてしまう。そのたびに起き上がってうにの様子を見るが、静かに寝息を立てて眠っているので、私もできるだけそっと布団にもぐりこんで、また浅い眠りに戻った。

三度目ぐらいに暑さで目覚めたとき、不思議な光景を見た。

年配の男性がうにのほうに手をさしのべ、じっと見守っているのである。顔は私の体勢からだとよく見えないが、チェックのシャツに茶色っぽいカーディガンを着た、短髪の人物だった。

身体を起こすと同時に思わず、「えっ…」と声が出てしまう。

そしてそれから数秒間ほど、その人の姿は見えていたが、まるで部屋の空気に溶け込むようにして消えていった。

私は霊感とか特殊能力とか、そんなものは全く持ち合わせていない。疲れてストレスが溜まりすぎ、幻覚を見てしまったのだろうか。

でも、あの時、私にははっきりと見えていた。ただ横を向いているので顔はしっかりとはわからなかった。会ったこともない人だが、日本人ではないような気がした。

不思議に怖いとか、不気味だとは思わなかった。

それはその人が、とても穏やかな雰囲気でゆったりとうにを見守っていたからだろう。

 

手術当日の朝、ご飯をもらえず不満げにこちらを見るうに