猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

放射線治療の始まり

治療を受けさせる決断をして

 

大きな病院での検査の結果、放射線治療抗がん剤療法を勧められたものの、その場では決断できなかったので帰宅してもう一度考えることにした。

とはいえ、すでに私の中では、このまま何もしないという選択肢はなかった。

うには手術を受けて元気を取り戻したように見えたので、もしかしたら完治するかもしれないと期待していたが、今日の病院での説明から、そんなに簡単な病状ではないことが改めてわかった。癌が小さいうちに発見できたとはいえ、増殖のスピードは速く、悪性度も高い。

手術で目に見える癌を切除しても、ほぼ確実に再発してしまうだろうという診立てはなんとも残酷だ。手術だけでは不十分で、できるだけ早く放射線なり抗がん剤なりで叩いておかなければまた癌が広がっていく。

なんて厄介な病気にかかってしまったんだろう。スキャンの画像で見るうにの身体はきれいで、血液検査の結果だって悪くはない。この癌さえなければ、これからもっともっと長生きできそうなのに。本当に悔しくてたまらない。

これからまた通院が始まれば、うににとっても、私にとっても大変になりそうだ。まずは週3回、合計12回の放射線治療。その合間に3週間おきの化学療法が4回。今、私の仕事場は閉店していて再開のめどはたっていないから、さしあたり通うことはできそうだ。ただし時間とお金は思っていた以上にかかる。高速道路を使えば片道30分ほどの道のりも、三本のバスを乗り継いでいけば一時間半近くかかる。しかし治療費だけでも2000ユーロはゆうに越えそうなので、大変でも極力タクシーは使わないことにした。

経済的な面を考えてみても、不安が募ってくる。これまでも、日本への帰省とバカンスにかかる費用以外は極力ぜいたくを避け、老後の資金を貯めるように努めてきたが、家から離れて学生生活を送っている娘への仕送りもあと2年は続くし、今年から来年にかけてマンションの外壁工事も予定されている。しかもコロナで経済活動はストップ。私の会社も夫の会社も、社員の解雇はしないと言っているが、先行きは全く見えない。50歳を過ぎ、老後の備えもラストスパートに入っている自覚があったが、うにの治療費を含め、今年の出費は痛い。来年以降、会社の業績が戻って給料も現状維持してほしいが、とにかく先が読めない。まさか失業したりしないだろうな...。

何を考えても明るい材料がなく、気がめいってしまう。

それでもやっぱり…。うにを見殺しにはしたくないのだ。

夫は自分を田舎の人間だといい、自分の感覚では、正直なところ動物にそこまでの労力とお金をかけようとする気にはならないのだと言う。それでも私がやりたいというのなら、反対はしないそうだ。うにがうちに来てから二年。私がずっとねこかわいがりしてきたのだから、強硬に反対するには忍びないのだろう。

かかりつけの獣医さんから病院を紹介されてから、積極的治療を受けさせたいと思っていたけれど、諸事情を考え、ずっと迷いがあったのは確かだ。今日実際に診察を受けてみても、獣医さんは今何ができるかを教えてくれるだけで、やはり最終的に決断するのは飼い主なのだと思い知らされたような気がする。

とにかく治療を続けるにはいろいろな面で覚悟が必要になりそうなので、病院では最終的な結論を保留にしたが、考える時間を取りすぎては手遅れになり、せっかくの手術も無駄になってしまうかもしれない。やっぱりやるしかないんだ。翌日から早速放射線治療を受けさせる決心をする。

そうなると、治療の前日は夜からうには食事をすることができない。キャリーケースに入れられ、長い間バスに乗らなくてはならない。空腹に耐え、短時間とはいえ毎回麻酔をかけられる。かわいそうなうに。しばらく穏やかな暮らしはできなくなってしまうけれど、それと引き換えに、病気を退治できることを信じたい。

 

治療を始めて

 

放射線治療の初日は、予約の一時間半前に家を出た。うにはお腹を空かせて不満そうに鳴いていて、かわいそうに思う。3本のバスを乗り継いでいくが、二回の乗り換えは基本的に同じバス停なので助かる。三本目のバスは始発からなので確実に座れるが、途中で人がかなり乗り降りする駅をいくつか通り、なんだか風体の怪しい乗客も見かけるので、快適な移動とも言い難い感じだ。

ようやく病院の最寄りのバス停に着くと、そこからは歩いて7、8分の道のりだ。すでに予約の時間は迫っている。日差しはだいぶ強くなってきており、キャリーケースの重みが腕に堪える。右手、左手と交互に持ち替えながら、急ぎ足で歩き、病院に入ると他の人が待っていないことを確かめてから受付に行き、名前を告げてうにを看護師さんに預けた。コロナウイルス感染対策のため、建物に出入りするのも最低限の時間にとどめる。待合室は閉まっているし、トイレさえ使用禁止になっていた。うにはこれから麻酔をかけられ、放射線治療を受ける。照射の時間は短いものの、麻酔が覚めるまで観察してもらうので、1時間半ほどはかかるらしい。

その間待っている場所もないので、仕方なく外に出る。周りは郊外によくあるオフィスや倉庫が集まったような場所で、店など一軒もない。まあ、あったとしても今はロックダウンですべて閉まっているし。幸い天気がよくてぶらぶら歩くことができるが、これから雨が降ったらどこに行けばいいのだろう、と少々心配になった。しばらく行くと屋根のついたバス停のシェルターがあったので、そこのベンチに座る。仕事用の電話を持ってきたので、休業中の課題をやり始める。その間に、同僚から電話がかかってきて、課題についてしばらく話す。そうやって時間をつぶしている間に何本かバスが通るが、ほとんど人は乗っていない。通りを歩く人もほぼ見かけない。そもそも、私だってこの通院以外は、週に一度の食料品の買い出しぐらいしか外出しないのだから、みんな外に出ないのだろう。特にこの辺りはオフィスも多いので、出勤する人もいないのではないだろうか。

バス停のベンチで一時間ほど時間をつぶしてから、ゆっくり歩いて病院に戻る。建物の中で待つことはできないので、外にいるが、座る場所もないのでだんだん疲れてきた。それでもなかなかうには出てこない。携帯電話を見たり、音楽を聴いたりしながら待ち続け、結局うにが出てきたのは預けてから2時間以上経ってからだった。車で来ている飼い主さんたちは、車の中で待っているので座っていられるだけましかもしれないが、それでもみんなが外でじっと待っているというのは不思議な光景だった。こんなところにもコロナウイルスの影響が大きく出ているのだ。

ようやくうにを引き取って、元来た道を歩き、バスに乗り、家に帰りついたら7時半を過ぎていた。出かける前に夕食の支度をしておいてよかった。家を出たのは2時過ぎだったので、半日潰れたことになる。帰る道すがら、お腹を空かせて鳴くうにに、やっとご飯を食べさせてやれる。うにも私もかなり疲れた一日だった。明日はゆっくり休みたいとつくづく思った。これから週に三回の通院が4週間、その間ずっとこんな生活が続くのだ。なんだか最初からちょっと気が滅入ってしまいそうだが、やると決めたからには頑張って続けよう。

ベランダのプランターは、うにのお気に入り