うにとの出会い
娘がもらった保護猫
「ねえママ、私、猫をもらいたいんだけど。」
フランス北部、ヴァランシエンヌの大学近くでルームメイトと暮らしている娘が、私に電話してくるなり、そう切り出した。
それは、2018年の3月のことだった。
娘はその前の年の9月に大学に入学したのだが、最初に住んだアパートは、レンガ造りで隙間風がひどく、暖房がほぼ効かない部屋だった。そこで、私たちも手伝って新しいアパートに引っ越しをして、やっと落ち着いたころだ。
「そんなこと急に言っても…。ちゃんと世話ができるの? だいたいルームメイトはいいって言ってるの?」
「うん。ルシールは大丈夫。それに…。実はもう、もらってきちゃったんだよね。」
「えーっ、でもどこから?」
突然の展開に、私は絶句してしまった。いつもは引っ込み思案のくせに、こういうことだけは行動が速い。
娘はフランス各地にある動物保護団体から、その猫をもらってきたらしい。
「それで、どんな猫なの?」
「うーん、そうね、まじめな猫。」
真面目、ってどういうこと? そもそも猫に不真面目、真面目なんてあるんだろうか?
聞けば、推定8歳の雌の保護猫だそうだ。落ち着いていておとなしいというのを、ちょっと不思議な日本語を使う娘が表現すると「まじめ」ということになるらしい。猫の8歳というのが人間ではどのぐらいの年齢に相当するのかも知らず、あわててネットで調べてみる。ほぼアラフィフ? なんでまた、結構な年増をもらってきたのだろう。
翌日、彼女からまた電話がかかってきて、猫のお尻から白いひものような物が出ていて、しかも動いていて気持ちが悪すぎると泣きつかれた。もと野良猫であるならば、それはきっと寄生虫だろう。そのぐらいは素人の私でもわかる。すると娘は早速猫を獣医さんに連れて行き、虫下しを飲ませ、数日後にはすっかり退治できたようだった。
それにしても、インコやハムスターぐらいしか飼ったことのなかった私にとって、以前から猫を飼うのは憧れだった。猫と一緒に暮らせるなんて、うらやましくてたまらない。だが一方で、子供のころ習っていたピアノの先生のお宅の凶暴な猫に、何度も手を噛まれそうになった経験もあったので、自分が飼ってみようという勇気はなかった。それに、生き物は病気をしたり、死んでしまったりするし。ちゃんと世話ができるか心配でもある。
あれこれ迷わずに猫をもらってしまった娘の行動力をほめるべきなのか、もうちょっと慎重になれと諭すべきなのか…。
とにかく早くその猫を見てみたい。
娘をせっついて送ってもらった写真でみる猫は、なんだか不敵な顔つきをしていた。それはやっぱり、いかにも年増のおばさんという感じだった。
初めて我が家に来た猫
次の学校の休みは4月の末で、その時には猫をうちに連れてくるという。そして6月から3か月間、娘は大学の交換プログラムでシンガポールへ行く予定になっている。結局その間うちで預かることが前提? これは私が猫に興味があるのを知っていての確信犯だな。
そう思っても悪い気はしなかった。どんな猫なんだろう。撫でたりしても大丈夫なんだろうか。できれば抱っこしてみたいけど…。久しぶりに娘に会えるのも嬉しいが、猫が来るのが待ち遠しくてたまらなくなってきた。
そしていよいよ、娘が猫を連れてくる日になった。
キャリーケースに入った猫は、不敵な顔つきどころか不安げに目を大きく見開いて、おどおどした様子でこちらを窺っている。なんだか想像していたのと違う。キャリーケースの扉を開けると、グレーに縞模様の入った柔らかそうな毛並みの猫が、ススッと出てきたかと思うと、大急ぎで居間のテレビの前のローテーブルの下に潜り込んだ。慣れない所に連れてこられておびえているのだろう。それでも猫の匂いのついた毛布を目の前で広げると、警戒しながらもそろそろとテーブルの下から出てきた。そして猫は毛布の上に乗ると、しきりに前脚でもみもみ、ふみふみし始めた。そこで私は初めて、じっくりと猫の姿を見ることができた。結構肉付きがよく、お腹の辺りがタプタプしているけれど、目がぱっちりしていてかわいい顔をしているなあ。これからこの子はしばらくうちで預かるのだから、早く我が家での暮らしになじんで欲しいと思った。
早速触ってみたくなったけれど、電車での旅の疲れや慣れない環境でのストレスもあるだろうから、しばらくは猫を構わず、そっとしておくことにした。
猫のトイレと砂、エサだけはあらかじめ買っておいたので、娘に聞いて居間の隅にセットしておく。
そのうち、カタカタ、ゴソゴソ、ザザザザッ、と音がしたのでそっと覗くと、ちょうど猫がトイレから出てくるところだった。何も教えていないのに、ちゃんとトイレだってわかって用を足すのね、すごい!! と私は感動したが、次の瞬間、猫は私の横をすり抜け、ものすごい勢いで走り始めた。
辺りには、結構強烈な匂いが漂っている。トイレの中には、太い葉巻ほどの大きさのうんちが二つ。
「猫のうんちって、臭いでしょ?」
娘に言われて早速排せつ物を処理しようと思ったが、うんちをすくうためのシャベルを買っていなかったので、ビニール袋で掴んでトイレに流した。猫のうんちは人間の物より固く、トイレを詰まらせる原因となるため、流してはいけないのだということさえその時は知らなかった。
ふと見ると、猫は走り回るのをやめ、各部屋を探索するかのようにゆっくり歩いていた。
猫って面白いなあ。
これから猫が何をするのか、ずっと見ていたいと思うほど、私は猫に夢中になりつつあった。