猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

うには優しい猫

うにと新入りの子猫

 

うにが正式にうちの猫になってから半年が過ぎたころ、うにを手放して寂しがっていた娘も、真っ黒なオスの子猫「ジジ」(くろちゃん)と暮らし始めていた。そして春の学校の休暇に、初めてくろちゃんをうちに連れてくることになった。

くろちゃんはまだ幼く、とにかく無邪気な性格。生まれた時から人間に囲まれて生活しているから、警戒心が全くない。身体のどこを触られても、何をされても、いつもご機嫌。我が家に来ても、まるで物おじしない。室内干しの洗濯物の上に乗ったり、気が向けば身軽にソファに飛びうつったり、好奇心のままに動きまわっていた。

うにはといえば、いきなり知らない子猫が来ても、遠目にちらっと見ただけで居間の窓辺のテーブルから動かない。今や、窓辺の子供用の椅子だけでなく、隣に置かれた大きなテーブルすべてがうにの居場所になっていた。そこには爪とぎやクッションがあり、目の前の大きな窓からは、外の様子がよく見える。うには一日のうちかなりの時間をそこで過ごすのだが、気が向けばソファに登ったり、夫の仕事部屋に行ったりする。うにが机の下に寝そべっていた時、そのへんをウロウロしていたくろちゃんが、うにの鼻先まで無防備に近づいて行った。

うにが、「フーゥッ!!」と大きな唸り声で威嚇すると、くろちゃんはびっくりして部屋を出て行った。が、くろちゃんはまるで学習能力がないのか、それともよっぽど好奇心が旺盛なのか、しばらくするとまたうにに近づいていく。そのたびに歯をむき出して威嚇したり、猫パンチを繰り出すうに。でも、よく見るとそれは真似事だけで、決して本気で攻撃しようとしているのではないのがわかった。うには自分の邪魔さえされなければ、くろちゃんを拒否するつもりはなかったのだろう。一方、さすがのくろちゃんも、何回も怒られているうちに、うにと一定の距離を保つようになった。そして、数日が経つと、両者はお互いにほぼ干渉せず、それぞれの居場所を見つけて暮らすようになった。

面白いことに、それから娘の学校の休暇でくろちゃんがうちに来るたび、うにとの距離は少しずつ縮まっていった。年齢も成育歴も全く違っているから、一緒にじゃれたり遊んだりするわけではない。でも、うにが陣取っている窓辺のテーブルの上のお皿でくろちゃんが水を飲んだり、爪とぎで爪を研いだりしても、うにはもう何も言わなくなった。また、食事時には台所で、隣り合ったお皿から、うにとくろちゃんが並んでごはんを食べるようになった。時には二匹がお互いの鼻と鼻をちょっとくっつけあって、あいさつをすることもあった。それでもくろちゃんがつい調子に乗って、うにのしっぽにじゃれついたりすると、軽い猫パンチで教育的指導が入る。そんなときのうにはまるで、「貫禄のある姐さん」そのものだった。よそ者が侵入してきても、一定のラインさえ越えなければ静観しているうにの態度には、余裕さえ感じられた。

うにのくろちゃんへの接し方を見ていて、私はうにの寛容さに感心していた。外で暮らしていた頃は、自分の身を守るために戦うこともあっただろう。でもうには決して無用な攻撃はしなかっただろうと思う。猫たちがみんなそうなのかはわからないが、基本的にうには平和主義者なのだ。自分の縄張りを守ると同時に、他者のスペースも尊重する。それに比べれば、人間の方がよっぽど意地悪だし、好戦的なのかもしれない。

 

うにの優しさ

 

うには、一見のほほんとしているようでいて、私に気を遣ってくれるようなところもあった。私の膝に乗ってきて撫でられている時、うには気持ちがいいのか自然に前脚を延ばして爪をニューッと出す。そのたびに爪が膝にひっかかるので、私が「イテテ…。」と声を出すと、うには最初「何だろう?」と不思議そうな顔で見ていた。しかしそのうち、前脚の延ばし方が遠慮がちになり、明らかに私の膝に爪が刺さらないようにしているのがわかった。きっと、私の声の調子から、自分が何か困ることをしていると感じ取ったのだろう。以来、うにに爪をたてられることはほとんどなくなり、私はうにの賢さとやさしさに感心した。

 

そんな優しいうにの機嫌を、私が損ねてしまったことがある。

うにに断りもなく、恒例の東京への里帰りで留守にしてしまったのだ。

夫が言うには、私がいなくなってしばらく、うには何かを探すような素振りでうちの中を歩き回っていたという。そのうち諦めたらしく、ベッドの上で寝そべっているうにの写真が送られてきた。偶然だと思うが、カメラに向けられた視線は、何となく不貞腐れているようにも見えた。それから数日すると、夫が机に向かっているすぐ横に椅子とクッションを置いてもらい、そこで丸くなって眠っているうにの写真が届いた。うちの中から人が一人減ってますます静かになると同時に、これまでそれほど接触のなかった、うにと夫が一緒に過ごす時間が増えているようだった。

私がパリに戻った日。楽しかった里帰りが終わってしまって寂しいけれど、うにに会えるのは楽しみ! と張り切って我が家のドアを開けた私だったが、うにの反応は冷ややかだった。もちろん、二週間近くほったらかしにしておいて、うにに熱烈歓迎を要求するほど、ムシのいい話はない。そんなことは私も期待していなかったのだが、それにしてもこの冷たい空気はなに? ちょうど夕方の食事時だったので、ごはんを食べ終わるなり、うには私を無視して夫の仕事机の隣の椅子に登って丸くなり、そこから動こうとしなかった。

「うにちゃん、ただいま!!」と声をかけても無反応のうに。抱っこして居間のソファに連れてきても、一瞬で走り去り、夫の近くへ行ってしまう。

「何も言わずに出かけてしまった私が悪いんだから、仕方ないな。」と私も静観することにしたが、うにはそれから一週間近くも、私の近くに寄ってきてくれなかった。

うににしてみれば、いつもごはんをくれるオバさんが突然いなくなり、不安だったのだろう。もしかしたら、見捨てられたと思い、今後はオジさん(夫)を頼りに暮らしていこうと決意したのかもしれない。私はものすごく反省した。そしてこれからは、出かけるときは必ずうにに言い聞かせてからにしようと心に決めた。

 

うには、わかってくれた

 

それから半年後…。また私が東京に里帰りする時期がやってきた。出発の数日前から、うにに話しかけている私を見て、夫は猫に説明したって仕方ないでしょ、と笑っていたが、私はかなり真面目にうにに状況を説明したつもりだ。

「2週間したら帰ってくるから、いい子でオジさんとお留守番しててね。」

うにがどれだけわかってくれたかわからないが、私は言うだけのことは言ったし、と根拠もなく納得して出発した。

 

そして私が東京からパリに帰ってきた日。

玄関のドアを開けると、うにの姿が見えない。また私に腹を立てているのだろうか? それにしても、夕方で相当お腹が空いているはずなのに、声も出さないなんておかしい。うにのことが心配になったとき、廊下と寝室の間のドアが閉まっているのに気が付いた。ドアを開けると、うにがにゃあにゃあと鳴きながら駆け寄ってきた。朝、夫がドアを閉めて出かけてしまってから、一日中、私たちの寝室に閉じ込められていたうに。急いでカリカリと水を与え、ふと見ると、ベッドの毛布の上にしっかりとうんちをしていた。普段、粗相はしないうにのことだから、本当はちゃんとトイレに行きたかっただろうに、これは完全にオジさんのせいだ。ごめんね、うに。

とりあえず毛布を外して取り換えると、長旅で疲れていた私は早速ベッドにもぐりこんだ。いつの間にか、うにも私の足元で丸くなって寝ている。寝ぼけながらも「ああ、今回はうにに怒られていないみたいでよかったなあ。」と思った。

それからしばらく眠ったものの、時差ボケのために夜中目が覚めると、なんだか様子がおかしい。むわっとした異臭を足元から感じるのだ。慌てて飛び起き、昨夜うにのうんちを見つけた辺りを触ってみる。生暖かく濡れていて、うにがそこにおしっこもしていたことは明らかだった。昨夜毛布は取り替えたものの、下のシーツやマットレスまでは注意していなかったのだ。しかしまだ眠っている夫を叩き起こすわけにもいかず、翌朝を待ってベッドを改めてみると、マットレスにまで黄色いシミが広がっていた。不幸中の幸いは、それがベッドの隅っこで、直接私たちの身体が触れる場所ではなかったことだった。ネットで消毒と掃除方法を調べ、私は何とかマットレスをきれいにしようとした。しかし、黄色いシミは薄まったものの完全には消えなかった。ちなみに、うにの名誉のために付け加えると、それから死の数日前に本当に身体が動かなくなるまで、うにが粗相をすることは決してなかった。

当のうには、特に冷淡な様子も見せず、気が向けば私の膝に乗ってきたりして、いつも通りに接してくれた。東京から買ってきた、猫用のおやつをあげると、喜んで食べた。やっぱり、うには私の話をちゃんと聞いてくれていた、出かける前にうにに話しておいてよかったなと思った。

汚した毛布は、夫が早速クリーニングに出し、すっかりきれいになった。

気が付けば、うにと出会ってもう一年半。うちの子になってからもすでに一年が経っていた。もう、うにがいる前のことが思い出せないほど、うにがうちにいるのが当たり前になっていた。

自分の陣地にくろちゃんがいても、余裕のうに