猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

うちの子になったうに

帰ってきたうに

 

ずいぶん前からあれこれと計画し、楽しみにしていた10月の東京への里帰りはあっという間に終わり、私はまたパリに戻ってきた。約半年に一度の東京滞在は、毎回私にとって最大のイベントである。以前はほぼ毎年の里帰りだったけれど、どんどん年老いていく両親を見ると、無理をしてでも半年に一度日本に行くことにした。墓参がてら旅行したり、短い期間でも毎回楽しい予定をいっぱいに詰め込んで出かける。私にとっては大イベントなので、いざ終わってしまうと激しく気分が沈む。いつもなら、帰りの飛行機の中からすでに気が重くてたまらないのだが、今回はちょっと違う。娘とうにに会えると思うと、自然と気持ちが浮き立ってくるようだ。

約2か月ぶりにうちに戻ってきたうには、もうおどおどすることもなく、すぐに爪を研いだりご飯を食べたりし始めた。猫の記憶はどの程度続くのかわからないが、うちのことは覚えていてくれたようで、なんだか嬉しかった。私たちもみんなで食事に出かけたり、娘と買い物したりして、久しぶりの家族の時間を楽しんだ。そして、一週間の休暇はあっという間に過ぎてしまった。

うにをうちに置いて、いよいよヴァランシエンヌに帰る娘が、「かわいがって育ててね。」と言ったのを、今でも昨日のことのように思い出す。その時は、「わかった! でもうにもいいお年だから、これ以上は育たないかもよ。」などと冗談交じりで返事をしてしまったが、娘も、うにを手放すのは悲しかっただろう。色々事情があるとはいえ、私がうにを取り上げてしまうようで、申し訳ないと思った。だから、猫嫌いのルームメイトが出て行って数か月後、彼女が真っ黒な子猫「ジジ」(通称くろちゃん)を迎え入れたときは、みんなが喜び、私の後ろめたい気持ちも少々和らいだ。

ところで、当のうには、飼い主と家が変わったことをどう思っていたのだろう。何事もなかったかのように、マイペースで過ごすうに。仕事から帰ると、まずうにがどこで何をしているか確かめないと気が済まない私。でもうにの方はといえば、相変わらず、膝に乗ってきてくれるのは気が向いたときだけ。でもいい、うにが幸せに暮らしてくれるのなら。私はうにに構いたい気持ちを抑え、あまり干渉しすぎないように努力した。でも、実際うににどう思われていたかはわからない。

 

うにの意外な一面

 

うにが来て初めての冬のある日、朝起きるとうにの左目が半分閉じていた。しょぼしょぼと瞬きしては目を開けづらそうにしている。慌てて獣医さんに連れて行くと、結膜炎だという。それにしても、診察台に乗せられた途端、ものすごい勢いで駆け下りて机の下に潜りこんだうにの俊敏さは、まるで別の猫を見ているようだった。しかも、獣医さんが目薬をさそうとすると唸り声をあげて威嚇し、抵抗するうには、凶暴そのもので私を驚かせた。初めて見るうにの一面。まだ、私はうにのことを何も知らなかったのだ…。そして、こんなに怒り狂っているうにに、これから一週間ほども、毎日目薬をさしてやらなければならないとは…。私には到底やり通す自信はなかった。おそるおそるうにをつかまえようとしても、簡単に逃げられてしまう。ところが、夫はYou Tubeで「猫に目薬をさす方法」を見て、うにをタオルでぐるぐる巻きにすると、あっという間に目薬をさしてしまった。同じようにして、抗生物質の錠剤をぱっと飲ませる。獣医さんだって、助手に手伝わせて二人がかりでやっていたのに、一人でこんなに手際よくできてしまうなんて。うちの夫、職業選びを間違えていたかもしれない。こんな才能があるなら獣医になればよかったのに。

こうしてうにの結膜炎は回復したが、今度は食欲が鈍ったのではないかと心配になり、私はまた獣医さんにうにを診せに行った。でも、幸いどこも悪いところはなかった。結局、私が吟味して色々と試した新しいカリカリが、気に入らないのが原因だったようだ。わざわざ海外から取り寄せた、良質な素材だけを使った高級なカリカリ。肉食動物である猫には、穀物があまり入っていないものを与えたほうがいいという、ネットからの情報を信頼して選んだものだ。しかし、獣医さんによると、実は穀物もある程度入った、バランスの良いものを与えるのがいいという。私は、何事も極端なのはよくないんだなあ、と反省した。

せっかく獣医さんに診察してもらったので、ついでに身体のチェックもお願いする。

「この子、前は外にいたんでしょうね。耳についているたくさんの傷、これは他の猫に噛まれた歯形の跡なんですよ。それにこの歯。ほら、欠けてるでしょ。」

見ると、一番大きい二本の歯のうち、右の歯がかなり短くなっていた。

娘がうにをもらってきた時、どういう状況で保護されたかは、全くわからなかった。だからうにがそれまでどんな暮らしをしていたのか、謎のままだった。うちに来てからはのんきな姿を見ることが多いけれど、うにの身体には過酷だった外での生活の痕跡が残っているのだった。

「これまでよく、頑張って生き延びてきたね。でもこれからは心配しないで、うちでのんびりしてね。」私はうにの苦労を労い、ほめてあげたいと思った。

 

人騒がせな新米飼い主と猫

 

それにしても、私のような猫飼育の初心者の話をじっくりと聞き、親身になってアドバイスしてくださる獣医さんたちが、うちからすぐ近くにいて下さるというのは、とても心強い。以来、うにはこの診療所にずっとお世話になり、特にテシエ先生には、かかりつけの獣医さんになっていただき、度々お世話になった。

一度は、うにがトイレを使った形跡が全くなく、いよいよ腎臓病になったかと心配し、大慌てで診療所に駆け込んだこともある。うにの膀胱を触診したテシエ先生が、「あれ、そんなにおしっこ溜まっていませんね。もしかして、どこか別のところで用を足してませんか?」とおっしゃるので、じっくり思い返してみると、確かに思い当たることがあった。うには、ベランダにある土の入ったプランターが大好きで、天気がいいとよくその上に乗って日向ぼっこをしている。あまりに気持ちがよくて、ついでにそこで小用も済ませたに違いない。なんて人騒がせな子なんだろう。そして私は、なんて人騒がせな飼い主なんだろう。私はとても恥ずかしくなったが、テシエ先生は、うにの年齢を考えたら、これを機会に念のため尿検査をしたほうがいいと勧めてくれた。

家に帰り、いつものトイレの猫砂の代わりに、尿を全く吸収しないプラスチックの粒をトイレに入れる。うにがその上で用を足せば、尿がトイレの底に溜まるので、それをスポイトで採取する…、はずだった。だが、見慣れないものには最大級の警戒を怠らないうにのことなので、そう簡単に用を足すはずもない。トイレの中に片脚をちょっと差し入れてプラスチックを触っては、そのたびにびくっとして引っ込める。どうやら感触が気に入らないようだ。それを数回繰り返した後は、トイレを怖がって、寄り付きさえしなくなってしまった。私は、うにがそのうち家のどこかをトイレ代わりにするのではないかと心配した。しかし、しばらくして私が窓を開けると、うにはサーッと小走りで私の横をすり抜けてプランターの上に乗り、土を掘り返した。そして、あっという間にその穴の上にしゃがんでおしっこをした。プランターには小さな水たまりができた。

「うにがこんなところでおしっこしたよ!」と言う私の声を聞いて、夫は、「あっ、今だ!」とばかりに大急ぎでスポイトと容器を持ってきて、うにの尿を採取した。よく見ると容器の底に土が多少沈殿していたが、これ以外に尿を採る方法は思いつかない。早速テシエ先生の診療所にうにの尿を持って行った。

事情を説明すると、先生は微苦笑しながらも、「このぐらいなら大丈夫ですよ。」と尿検査をしてくださった。そしてうにの腎臓病疑惑はめでたく晴れ、私はほっと胸をなでおろした。

気が付けば、うには何回かの獣医さん通いにすっかり慣れたようだ。診察台に乗せられても、逃げたり威嚇したりせずおとなしくしているようになった。

「よしよし、かわいい猫ちゃんだねえ。」テシエ先生は、まるで人間の子供に話しかけるように、優しくうにに声をかける。うにも落ち着いているように見えたのだが、先生が「はい、じゃあおしまい。」と言った途端、自分からさっさとキャリーケースの中に入っていった。まるで、そこに入ればうちに帰れるのだとわかっているかのようだ。そして、「ねえ、早く帰ろうよ。」とでも言いたそうに私の顔を見上げてきた。その仕草は、本当に病院嫌いの人間の子供のようでおかしかった。

「そうかそうか、じゃあ、おうちに帰ろうね。」

家に着けば、早速キャリーケースから出て台所に行き、ほっとした様子でごはんを食べたり水を飲んだりしているうに。そんな姿はすっかり家猫、我が家の一員になったようだった。

お気に入りの椅子から隣のテーブルへとテリトリーを広げるうに