猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

いやな予感

うにの健康診断

 

また冬が来て年が明け、2020年になった。あと3か月で、娘がうにをもらってきてから二年になる。

娘の方は、相変わらず学校が忙しいようだ。それでも息抜きにと、くろちゃんと遊ぶ写真やビデオが時々送られてくる。みんな元気で仲良くやっているようで 、何よりだ。

そして、二月に入るころから、中国の武漢で発見された新型コロナウイルスが話題になり始めた。私の職場は海外からの観光客が主な顧客だが、特に中国からのお客さんはお得意様だ。例年この時期は、旧正月でたくさんの人がフランスを訪れる。しかし、中国での感染は拡大し、ついにフランスへのツアー客の受け入れが禁止された。フランスでも日々感染者が報告されつつあり、人々の間にも不安が広がり始めた。

そんなある日、うにのかかりつけの獣医さんであるテシエ先生から、手紙が届いた。前回の予防接種からもうすぐ一年たちますから、来院をお忘れなく、というものだ。一年に一度の予防接種の時には、被毛にノミ駆除剤を塗布し、寄生虫の虫下しも飲ませているから、近いうちにうにを連れていかなければならない。手紙には、シニア猫の健康維持のため、予防接種と同時に健康診断をお勧めします、と書かれていた。確かに、今年の8月には推定10歳になるうには立派なシニア猫だ。うちに来たとき、人間の年齢換算で、私のちょっと年の離れた妹ぐらいだったうに。でも、猫は、人間の6倍速く年を取るというから、今のうにはちょうど私と同年代だ。そして来年には私の年齢を追い越し、それからもかなりなスピードで年を重ねていくのだ。うにがおばあさんになってしまっても、ずっと一緒にいたい。最近は猫の飼育環境もよくなり、ご長寿猫の話題もよく見聞きするから、うにの身体にも気を付けてあげて、ずっと長生きしてもらいたい。

相変わらずうにの生活は平穏だったが、この頃、うには何をするにも面倒くさそうだ。初めてうちに来た当初は、夜になるとそこらじゅうを走り回っていたのに、今ではおもちゃで遊ぼうと誘っても、すぐにやる気をなくしてしまう。シニア猫といえども、ある程度の運動量は必要だと思うのに、最近のうにの活動はかなり限られている。私は、寒い時期だし、あまり動きたくないのかなあ、と考えたりした。また、身体をそれほど動かさないためなのか、ごはんも毎回わずかに残すようになった。以前はいつもお腹を空かせていて、すごい勢いで一気にカリカリを食べていたうに。獣医さんに太り気味を指摘されてから、食事の回数と量はきちんと管理するようになっていた。それではとても足りないのか、うには食事時になると大きな鳴き声でごはんを催促していた。食前になるとお皿の前でスタンバイしていることに変わりはないが、最近ではかつての勢いはなく、途中で休み休み食べる。そしてお皿のカリカリを一度に平らげず、数粒は残す。とはいえ、食欲不振というほどの状態ではなかったので、私も多少気になり始めてはいたものの様子を見ていた。だから、予防接種の時には、ついでに健康診断もしてもらったほうがいいな、と思った。

 

「ほんの少しですが、スリムになりましたね。血液検査の結果も、特に気になるような項目はありません。健康状態はいいですよ。」

うにを診察したテシエ先生の言葉に、私はほっとした。前回の診察から200グラム体重が減っているけれど、これまで肥満傾向だったうにの食事はダイエット用のものにして、量も毎回正確に測っているから、適正体重に近づいたのかもしれない。

それにしても、うには診察中とてもおとなしくしているようになった。予防接種も血液検査も騒がずに受けた。初めてここに来た時とはすごい違いだ。そして、全てが終わると、待ってましたと言わんばかりにキャリーケースに入る。診療所の外に出ると、もう暗くなってきている。もうしばらくしたら、うににごはんをあげなければ。私は家へ急いだ。

 

奇妙な胸騒ぎ

 

家に帰って夕食を摂り、うにの血液検査の結果を健康手帳に整理する。そこには、うにが保護団体にいる時からの予防接種や受診が記録されている。とりあえず、うにの身体に何の異常もなければいうことなしだ。

とにかく明日も仕事なので、夜更かしはいていられない。入浴を済ませ、居間の明かりを消そうとした時、ふとソファで眠っているうにの姿が目に付いた。

「あれっ? もしかして息をしていない?」

ドキッとして近寄ってみる。いや、大丈夫だ。隣に座り、丸くなって寝ているうにのお腹の辺りが静かに上下しているのを確かめる。うにがうちに来てもう2年か…。最近ちょっと動きが鈍いし、食欲にも多少ムラがあるようだけど。やっぱりトシのせいなのかな。まあ、獣医さんが大丈夫って言っているのだから、そんなに気にしすぎるのもよくないんだろうけど、でも…。

あの時、暗い部屋の中でじっと動かないうにの姿を見て、私が感じた漠然とした不安は何だったんだろうか。心のどこかに、突然ポツンと小さな黒いシミが現れたような、嫌な感じを消すことができない。しかしまだその時点では、この違和感がいずれ辛い現実に結び付くとは予想もできなかった。

 

フランス一回目のロックダウン

 

その頃、いよいよ中国では新型コロナウイルスの大流行のため、武漢の街が閉鎖された。ヨーロッパでも、イタリアでの死者数が激増するなど、状況は日々深刻になってきていた。一方、フランスでは、2月の末の段階ではまだ国内の移動に制限はなかったので、娘が一週間の休暇でうちに帰ってきた。私はといえば、3月初めに予定していた日本行きを断念するかどうか、迷いに迷っていた。感染者数の動向やコロナ関連のニュースを逐一チェックし、一喜一憂する毎日。最後まで諦めきれなかったが、感染拡大はとどまることを知らず、結局は出発前日に泣く泣く飛行機をキャンセルしたのだった。

 

そして私が日本に出発するはずだった日から10日後、フランスは最初のロックダウンに入った。 

それは、これまでの人生で経験したこともない事態だった。仕事はおろか、自由に外に夫ることもできない。外出はほぼ、週に一度の生活必需品の買い物だけ。それも楽しい時間とは言い難かった。なにしろ、店の外には入店を待つ人々で長蛇の列ができており、やっと入店できてもアルコールや石鹸、洗剤などは店頭から消えていたのだ。また、多くの人が保存の利くパスタや米を買いだめしようとしたため、空っぽの棚が目立つ。そんなことも気持ちを焦らせ、不安にさせた。他人とは距離を取るように言われたが、そうでなくても目には見えないウイルスがどこにいるのか不安で、誰にも近寄りたくない。他人はみんな、感染しているのではないかと思えてくるほどだった。

それは、外の世界とのつながりが突然断ち切られたような、奇妙な生活の始まりだった。それでも間もなくすると、この新しい状況に対するストレスを抱えつつも、なんとか元気で毎日を過ごしていこうとみんな工夫し、模索し始めた。

夫はテレワーク、私は会社から割り当てられる、オンライン上での会議や研修に取り組み始めた。残りの時間は、着古した衣類で手作りのマスクを作ってみたり、不用品の整理をしたり、新しいレシピを試したり。とにかく何もせずに家でじっとしているのは思った以上に苦痛で、何かやることを探してはそれなりに熱中して時間を費やした。

このように特殊な状況の中では、私が抱いていたうにの健康についての小さな不安も、いつの間にか心の片隅に追いやられていたのだろう。こうして、長いようで短い毎日が過ぎていった。

もうすぐ春-日当たりのいいお気に入りの場所で昼寝するうに