猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

猫っておもしろい

猫との暮らしは新鮮

 

我が家に着いて数時間は警戒態勢だった猫も、トイレで用を足し、台所で食事をして落ち着いたのか、少しずつアパートの各部屋を探索し始めた。それでも、しばらくはまるで「借りてきた猫」状態で、気づけばさりげなく娘の近くにいて、彼女が部屋に行けば、自分もついて行ってベッドの隅に丸くなっておとなしくしていた。もらわれてきてたった一か月でも、ちゃんと飼い主をわかっているんだなあ、と私は感心していた。

それから数日が経つと、だいぶ自由に行動するようになり、私も猫をじっくり観察できるようになった。そこで私がまず一番感心したのは、猫はいつでもどこでも自分のペースを崩さないということだった。つまり、基本的に自分がやりたいことだけをする。そして、やりたくないとき、やりたくないことは絶対にしない。とにかく、猫って動物に人間の都合で言うことを聞かせようと思っても無理なんだ 、と折に触れて実感した。

例えば、猫と遊んでやろうとしておもちゃのネズミを取り出すと、猫は結構エキサイトしてネズミを追いかける。まるでテレビで見たライオンの狩りのように、伏せた姿勢からかなりな勢いでとびかかったりする。その姿を見ていると、本気で狩りをしているように見える。だからこちらも、ネズミを物陰に隠しておいて急に出すなど、かなり本気になって遊び始めるのだ。それなのに、猫ってやつは突然やる気をなくす。さっきまで夢中になっていたくせに、何もなかったように知らん顔をして、しらーっとした態度でお尻を向けたりする。そうなって初めて、「私が猫と遊んでやっていた」のではなくて、「猫が私と遊んでくれていた」ことに気づくのだ。

猫が好きになるか嫌いになるかは、こういう猫の徹底したマイペースぶりを羨ましい、と思うか無理、と思うかによるのではないだろうか。

私は見事に猫に魅入られてしまった側だ。

人の顔色ばかりを窺ってしまう自分にしたら、自由な猫がとてもうらやましい。

それに、逆に猫が私のペースに合わせだしたら、猫が気の毒だと思い、かえってこちらが気を遣っていたたまれなくなってしまうだろう。猫さまが私ごときに合わせてくれなくても結構です、私が猫さまに合わせますから大丈夫…。そのほうが私にとっては絶対的に気がラクだ。

ところで、猫が一番饒舌になるのは、やっぱりお腹が空いている時だ。「にゃあにゃあ」と何かを訴えるように鳴き続ける。そうやって盛んに催促して、自分は夕方、早々にエサを食べてしまうのに、そのあとで私たちが夕食を食べているとまた台所に来て、なんだか物欲しそうにしている。最初は私たちと同じものを食べたいのかと思っていたけれど、別にそういうわけでもないらしい。じっと近くで座っているだけで、私たちが食事を済ませて居間に移動すると、猫もついてきてテレビのそばで寝そべっている。朝は朝で、とてもお腹を空かせていて、一番早く起きた人に朝の挨拶がてら、ご飯の催促をする。

ところが、「へえ、猫って、想像してたよりフレンドリーじゃない。人間と一緒にいるのが好きなのね。」と嬉しくなって、食事を終えて居眠りしている猫に近寄り、しつこく撫でたりしたら、「うにゃっ」とひと声教育的指導が入る。その言い方と声色が、本当に「ちょっと(やめてよ)!」と言っているようにしか聞こえない。そこで私が手を引っ込めれば、猫は気持ちよさそうに眠り続ける。いい加減起きて一緒に遊んでよ、と思っても起きる気配はない。しばらくしてまたちょっと頭を撫でてみても、かなり迷惑そうに薄目を開けてこちらをちらっと見ただけで、また目を閉じてしまう。猫って、こんなに寝てばっかりなんだ、ということも初めて知った。

そして、昼間はずっと眠っていたのに、私たちが寝る頃になると猫は俄然元気になり、そこらじゅうを走り回る。寝室と居間の間のドアを閉めていても、タタタターッ、ドドドドーッと物音がしている。最初はびっくりしたけれど、数日もたてば、「ああ、また独り運動会をしているな」と慣れてしまったし、ひとしきりにぎやかにした後はシーンとしていたから、猫もエクササイズに疲れてダラダラしていたのだと思う。(私たちも構わずに寝ていたので本当のところは知らない。)

こんな風に、自分の生活リズムを崩さず、さんざん知らん顔だった猫が、こんどは一転「撫でてよモード」になって寄ってくるときもある。こちらに寄ってきたかと思うと、コテン、と私たちの目の前に突然倒れこんで、ゴロゴロと喉を鳴らす。そして、撫でているうちうっとりした様子になって、クネクネと悩まし気に身をよじらせて、さかんにお腹を見せ始める。でも、ここでうっかり「ああ、お腹を撫でて欲しいのねー」となどと思い、無防備にお腹を思い切り撫でたりすると、また教育的指導が入る。今度は、声も出さずにガブッ!とやられるのだ。これはあくまで「甘噛み」であり、痛くはないのだけれど、急に手首に嚙みつかれるとさすがにびっくりする。

教育的指導、といえばいわゆる「猫パンチ」もある。これは、猫がうっとおしいと感じるだけでなく、幾分の警戒心や恐怖心を抱いたときに繰り出されることが多いように思う。この猫が保護団体に来る前に、どんな生活をしていたのかはわからないが、最初はとくに警戒心が強かった。だから爪切りやブラッシングをしようとすると、嫌がって必ずと言っていいほど猫パンチをお見舞いされた。とにかく見慣れないものが苦手らしい。軽いパンチであっても、引っかかれたところは赤くみみず腫れになってしまうので、私は最初は軍手をして、おっかなびっくり爪を切ったりブラシをかけたりしていた。

 

猫はかわいい

 

娘が猫を連れてきたことで、静かだった我が家は急に賑やかになった。猫が賑やかというよりは、周りにいる私たちが猫の行動に注目し、面白がっていたのである。考えてみれば、友人や恋人だって、生活を共にしてみて初めて気づくことがたくさんある。まして、私たち人類とは種が違う猫なのだから、発見がたくさんあって当然だ。

私は猫にうっとおしがられながらも、猫が気になって仕方がなかった。

猫って面白い。

そして何より、猫はかわいい。

ふわふわの毛。撫でるとつるつる、しなやかで、とても気持ちがいい。

小さな頭にぱっちりした大きな目。目の周りはアイライナーを引いたように黒く縁どられ、アーモンド形が際立っている。

ピンと立っていて、物音がする方向へ向かって、常に動いている耳。かと思えば、リラックスモードで耳までへなっとしていることもある。いずれにせよ、ミッキーマウスの丸い耳より、私は三角の猫の耳のほうが好きだ。

しっぽだってとても表情が豊かだ。猫が動きを止めている時でも、しっぽだけは、ぱたっ、ぱたっと動いていたりするし、名前を呼ぶと、返事のかわりにしっぽだけをちょっと持ち上げたりする。ゆらゆらとしっぽがゆっくり動いている時はいかにも平和だが、逆にこれがバシンバシンと叩きつけるときは猫のイライラも爆発寸前なので、とばっちりを受けないように気を付けたほうがいい。

猫の背中は薄いグレーで、濃いグレーの縞が全身に入っているけれど、長い尻尾の辺りは、かなり濃い縞模様になっている。一方鼻から下は、お腹までずっと真っ白。そのお腹の毛はもこもこしていて、つい触りたくなる。

写真で見たときは、不敵な表情でちょっとふてぶてしい感じさえしたが、実際にはかわいい。こうしてみると、年増とはいえこの猫は、かなり美人さんではないかと思う。痩せて精悍な猫もかっこいいが、たぷっとしたお腹だって愛嬌があるし、むにっとしたお肉も触り心地がいい。

これからしばらくこの猫と一緒に暮らせるなんて、楽しそう! 

猫を飼ってみたかったという夢が思いがけなく実現したようで、私はワクワクしていた。

もっとなでてー、とねだるうに