猫との田舎暮らしをめざして

今年は都会を脱出!

「うに」になった猫

猫の鳴き声のいろいろ

 

猫といえば、「にゃーん」とかわいく鳴いているイメージがあったのだが、実際には、それほどしょっちゅう鳴くわけではないみたいだ。この猫も、日中は寝ていることが多いし、それ以外も気配をすっかり消してしまっていて、探してもどこにいるのかわからないほどだった。「にゃあーにゃあー」と盛んに声を出すのは、ご飯が欲しいとか、トイレが汚くて気に入らないとか、たいてい何か要求があるときだ。

そのほかにも、猫の鳴き声には結構バリエーションがあるのだということを、私は数日の観察の結果、初めて知った。

私が特に好きなのは、やけに人間臭い短い鳴き声だ。

せっかく寝ているのに邪魔された時の「んんーん」は「もおー、うるさいなあ」。

おばさんの膝に乗ってやったのに、一向に撫でてくれる気配がない時は、飛び降りる前に、「うにゃっ」と一声捨てゼリフ。撫でてくれないなら、「もう膝になんて乗ってやらないから。じゃあな。」という感じ。

逆にいい感じで撫でられているときは、「にっ」と満足そうに声を発する。

機嫌の良しあしが声のトーンでよくわかる。喜怒哀楽は人間だけじゃないんだな、と思うととても面白い。言葉は通じなくても、これで結構猫とコミュニケーションが取れるかもしれない。

いろんな鳴き声の中でも私が特にかわいいと思ったのは、猫があんまり気に入らないときに出す、「うにゃっ」という一声である。

「あー、もう、こんなこともわかんないの? いやーねー。」とでも言いたそうな、ちょっと不貞腐れた声。なんだか猫に叱られているみたいで、つい、「はい、空気が読めなくてスミマセン。」と言いたくなってしまう。猫にしてみれば、勝手のわからない所に連れてこられた挙句、察しの悪い人間に会っちゃった、しょうがないなあ、とでもいう感じだろうか。

ちなみに、我が家に来て数か月もすると、おばさん(私)もだんだん察しがよくなってきたとみえて、この不満げな鳴き声はあまり聞かれなくなってしまった。残念であると同時に、ちょっとは私も猫に気に入ってもらえてるのかな、と思うと嬉しく、ちょっと複雑な気分だった。

 

「ゆめ」から「うに」へ

 

そして、この鳴き声がたまらなくかわいくて、私は次第にこの猫を「うに」と呼ぶようになった。「うにゃ」でもよかったけれど、短い名前は呼びやすいし、「うに」という音の響きには何となく愛嬌がある。ところが、この呼び名は最初、夫と娘に大層不評だった。「うに」って、あのトゲトゲがいっぱいある、海にいるあれでしょ? なんか寿司ネタみたいで変! というのだ。確かに言葉の意味だけ考えたらそうかもしれないけれど、「うに」という音の響きには、なんだかのんきな、ちょっととぼけた味がある。

まだ警戒心がぬけないところはあっても、日に日にうちに馴染んで、無防備な姿を見せることが多くなった猫。ソファの上でだらーんと伸びていたり、大の字になってすうすう寝息を立てていたり。とても気持ちよさそうに寝ているのはいいが、時々半目を開けていてコワい顔になっていたり、口をちょっと開けてよだれを垂らしていることもあった。そんな少々間が抜けた様子が、「うに」という名前にとても似合っていると思った。

「ダラダラしてる猫のうにちゃんは、ダラうにちゃんだねー。」

近くで寝ている猫に、いつのまにか話しかけている。猫ってやっぱりかわいいなあ。私はすっかり猫の虜になってしまったようだ。

ところで、娘にもらわれる前、この子の名前は「ゆめ」だった。保護団体では、猫たちを新しい飼い主に譲渡する前に、猫エイズ検査などの健康チェック、予防接種、避妊手術などを行っているが、それらを記録した「健康手帳」にも、「ゆめ」という名前が書かれていた。この名前を選んだ人は、日本語の意味を知っていたのだろうか? そしてどうして、この猫に「ゆめ」という名前をつけたのだろうか。いつも寝ているからいい夢がみられるように? それとも過酷な外の生活から一転、いつか夢のように幸せな暮らしができるように? 意外なところで日本語の名前を目にして、ますますこの猫とはご縁を感じたけれど、娘はこの名前があまり気に入らなかったらしい。マンガか何かの登場人物から、すでに「アドラステ」という名前を考えていた。

「アドラステ」って名前もなんだか、ピンとこないな。まあ、私がとやかく言うことじゃないけど…。

そう思った私は、「やっぱり私は「うに」がいいなあ。それに、長い名前は呼びにくいから、できるだけ短いほうがいいんじゃない?」などとさりげなく言ってみたりしたけれど、この子は私の猫ではないのだから、私に命名権はない。

それでも、やっぱり気が付くと「うに」と呼んでしまっているのだった。猫の発する色々な鳴き声のなかでも、「うにゃっ」という声はまるで猫の独り言みたいだ。短く、ひっそりと、本音を漏らしている感じ。まあ、猫はいつでも本音で生きているのだろうから、これは私の勝手な擬人化かもしれないけれど。

とにかく、猫が次第に我が家に慣れ、様々な表情を見せているのが楽しくて、私は時間の許す限り猫を見ていたいと思った。「借りてきた猫」状態は数日も続かず、前からうちにいたような顔をして、アパートのあちこちを歩きまわり、好きなところで寝るようになった「うに」。開け放した窓の柵の間から頭を出したときは、落ちたらどうしよう、と心配したが、お腹にたぷっとついた肉のおかげで首から下は柵の間を通れそうもない。うには私の心配をよそに、しばらく窓の外を観察して満足すると、今度は居間のソファの上でまったりしていたが、やがて居間の窓際に置いてあった、子供用のハイチェアを見つけ、そこで長い時間を過ごすようになった。娘が小学校に入るまでは、食事時にいつも使っていた椅子。うにが丸くなって眠るにもちょうどいい大きさだ。ここにいれば、好きな時に外を眺めることもできるし、誰にも邪魔されずに昼寝をすることもできる。

私が外から帰ってきて、自宅の窓を見上げると、この椅子の上で丸くなっているうにが見える。そんな時、ちょっぴり心が温かくなる気がした。そして、「猫がうちにいるっていいなあ」とつくづく思った。

食後は、おばちゃんとまったりする「うに」